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最高裁判所大法廷 昭和44年(あ)2571号 判決 1977年5月04日

主文

原判決中被告人らの郵便法違反幇助及び建造物侵入に関する部分を破棄する。

被告人らの各控訴及び前項の部分に関する検察官の控訴を棄却する。

原審における訴訟費用のうち証人宮下佳、同外山彦一、同池田十由、同吉岡文雄、同八木健一及び同大塚鎮一に支給した分は被告人らの連帯負担とする。

被告人宇野鎗一及び杉田喜六の公務執行妨害に関する部分につき本件上告を棄却する。

理由

第一本件の経過

本件公訴事実の要旨は、

被告人菊池旦は全逓信労働組合(以下「全逓」という。)中央本部執行委員、同宇野鎗一は全逓愛知区本部執行委員長、同杉田喜六、同井田勇は同地区本部執行委員で、いずれも郵政事務官であるところ、昭和三三年三月二〇日全逓中央闘争本部の指令に基づき名古屋中央郵便局支部が名古屋市舞鶴公園内愛知労働会館において勤務時間内くい込み二時間の職場大会による闘争を行つた際、

(第一)  被告人ら四名は、他の四名と共謀のうえ、同日午前五時四〇分ころ、同市中村区笹島一丁目二二五番地名古屋中央郵便局地下第一食堂において、同郵便局集配課松崎善治ら九名に対し、「東京中央郵便局では午前二時職場大会に参加したから皆さんもすぐ職場大会に参加して下さい。」「組合が全責任を持つから出て行つて下さい。」などと申し向け、同人らをして郵便物の取扱いをしないで前記の勤務時間内くい込み二時間の職場大会に参加することを決意させて教唆し、この教唆に基づき、同人らをして午前五時五〇分ころ職場を放棄させ、午前八時ころから九時ころまでの間、ことさらに同人らの担当する第一号郵便物(速達書留郵便計八二通、普通通常郵便計約二八、九〇〇通)の配達をさせず、

(第二)  被告人宇野、同杉田は、他の二〇数名と共謀のうえ、同日午前七時五〇分ころ、同郵便局作業棟二階小包郵便課作業室において、同課主事寺尾秀夫が上司の同課副課長湯浅順次郎に対し同人の不在中における勤務状態を報告中、右寺尾の両腕をとり腰部を押すなどの暴行を加えて同人を室外に連れ出し、もつて同人の職務の執行を妨害し、

(第三)  (一) 被告人ら四名は、同日午前五時四〇分ころ、同郵便局長田中勇の管理する同郵便局地下第一食堂に故なく侵入し、(二) 被告人宇野、同杉田、同井田は、同日午前七時三〇分ころ、約四〇名のピケ員を指揮し、同郵便局正面玄関から作業棟三階普通郵便課及び同二階小包郵便課作業室に故なく侵入した、

というものであつて、(第一)の事実は郵便法七九条一項の罪の教唆、(第二)の事実は公務執行妨害罪、(第三)の事実は建造物侵入罪に該当するとして、起訴されたものである。

第一審判決は、郵便法違反教唆の点については、ほぼ公訴事実に沿う外形的事実を認定したうえ、ただ松崎らは被告人から職場大会への参加を呼び掛けられた時点において既に職場大会への参加を決意していたとして、同法七九条一項の罪の教唆に代えて同幇助の罪の成立を認め、公務執行妨害の点については、ほぼ公訴事実に沿う外形的事実を認定したが、被告人宇野、同杉田が寺尾主事を室外に連れ出そうとした際に同人は公務執行の意思を放棄して職場大会に参加する意思でこれに応じた疑いがあるとして、公務執行妨害罪の成立を否定し、建造物侵入の点については、公訴事実どおりの事実を認定して、建造物侵入罪の成立を認めた。

第一審判決に対し、検察官、被告人らの双方から控訴があつたところ、原判決は、郵便法七九条一項の罪の幇助及び建造物侵入の点については、いずれも正当な争議行為であるから罪とならないとし、公務執行妨害の点については、第一審判決の判断を是認し、同判決中の有罪部分を破棄して被告人ら全員を無罪としし、検察官の控訴を棄却した。原判決が郵便法七九条一項の罪の幇助及び建造物侵入の各行為をいずれも正当な争議行為にあたると判断したのは、次の理由によるものである。すなわち、まず、郵便法七九条一項の罪の幇助の点については、東京中郵事件判決(最高裁昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決・刑集二〇巻八号九〇一頁)に示されたところに従い、公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)の適用を受ける、いわゆる五現業(以下「五現業」という。)及び公共企業体(以下「三公社」という。)の職員による同法一七条一項違反の争議行為であつても、それが労働組合法(以下「労組法」という。)一条一項の目的を達成するためのものであつて政治目的のために行われたものでなく、単なる罷業又は怠業等の不作為があるにとどまつて暴力を行使するような不当性を伴わず、社会の通念に照らして不当に長期に及んで国民生活に重大な障害をもたらすことのない場合には、正当な争議行為として労組法一条二項の適用を受けるものと解すべきところ、松崎ら九名の業務の不取扱いは、右の基準に照らして正当な争議行為ということができるから、郵便法七九条一項の罪の違法性を欠くものというべきで、これを幇助した被告人らの行為は罪とならず、また、建造物侵入の点については、松崎らに対し職場大会への参加を説得誘導するためにされたものであつて、目的も、態様も、違法、不当とはいえないので、社会的にみて相当な行為と認めるべきである、というのである。

これに対して、検察官の上告趣意は、郵便法七九条一項の罪の幇助及び建造物侵入の点につき、最高裁判所、高等裁判所の判例違反、憲法二八条の解釈の誤りを主張し、公務執行妨害の点につき、最高裁判所、大審院、高等裁判所の判例違反を主張する。

第二当裁判所の判断

(郵便法七九条一項の幇助の事実について)

一争点

公労法一七条一項は、「職員及び組合は、公共企業体等に対して同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない。又職員並びに組合の組合員及び役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定している。そして、同法一八条は、右規定に違反して争議行為をした職員は解雇されるものとする旨を規定し、同法三条は、労働組合又は組合員の損害賠償責任に関する労組法八条の規定の適用を除外している。しかしながら、公労法は、その一七条一項の規定に違反して争議行為をした者に対する特別の罰則は、これを設けていない。したがつて、本件における争点は、同法一七条一項に違反して行われた争議行為が、他の法律に定められた罰則、例えば郵便法七九条一項の罰則の構成要件にあたる場合に、これに対しなおも労組法一条二項の適用があり、正当な争議行為であると認められるときは違法性を阻止するものと解すべきかどうかの問題にほかならないところ、東京中郵事件判決は、これを積極に解し、公労法一七条一項に違反する争議行為については正当性の限界のいかんを論ずる余地はないとした当裁判所の従前の判例(昭和三七年(あ)第一八〇三号同三八年三月一五日第二小法廷判決・刑集一七巻二号二三頁)を変更した。しかし、その後、当裁判所は、全農林事件判決(昭和四三年(あ)第二七四〇号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五八七頁)及び岩手県教組事件判決(昭和四四年(あ)第一二七五号同五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号一一七八頁)において説示するとおり、憲法二八条の意義、特に公務員の争議行為と同法条との関連につき、新たな立場から詳細な検討をする機会があつた。それらの判決の判示には、東京中郵事件判決の基礎をなす見解と異なる部分が少なくない。そこで、事柄の重要性にかんがみ、この機会に、これらの判例との関連を含めて、前記の争点につき当裁判所の見解を示すのが相当であると考える。

二公労法一七条一項の合憲性

(一) 公労法一七条一項の規定が憲法二八条に違反するものでないことは、当裁判所の確定した判例であり(昭和二六年(あ)第一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決・刑集九巻八号一一八九頁及び前記東京中郵事件判決)、この結論については、今日でも変更する必要を認めない。ただ、その後の当裁判所の憲法二八条に関する判例の推移にしたがい、その理由を詳説すれば、次のとおりである。

(二) 憲法二八条は、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他団体行動をする権利」、すなわち、いわゆる労働基本権を保障している。この労働基本権の保障は、憲法二五条のいわゆる生存権の保障を基本理念とし、憲法二七条の勤労の権利及び勤労条件に関する基準の法定の保障と相まつて勤労者の経済的地位の向上を目的とするものである。このような労働基本権の根本精神に即して考えると、国家公務員の身分を有しない三公社の職員も、その身分を有する五現業の職員も、自己の労務を提供することにより生活の資を得ている点においては、一般の勤労者と異なるところがないのであるから、共に憲法二八条にいう勤労者にあたるものと解される。

しかしながら、ここで、全農林事件判決が、非現業の国家公務員につき、これを憲法二八条の勤労者にあたるとしつつも、その憲法上の地位の特殊性から労働基本権の保障が重大な制約を受けている旨を説示していることに、留意しなければならないであろう。すなわち、「公務員の場合は、その給与の財源は国の財政とも関連して主として税収によつて賄われ、私企業における労働者の利潤の分配要求のごときものとは全く異なり、その勤務条件はすべて政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮により適当に決定されなければならず、しかもその決定は民主国家のルールに従い、立法府において論議のうえなされるべきもので、同盟罷業等争議行為の圧力による強制を容認する余地は全く存しないのである。これを法制に即して見るに、公務員については、憲法自体がその七三条四号において『法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること』は内閣の事務であると定め、その給与は法律により定められる給与準則に基づいてなされることを要し、これに基づかずにはいかなる金銭または有価物も支給することはできないとされており(国公法六三条一項参照)、このように公務員の給与をはじめ、その他の勤務条件は、私企業の場合のごとく労使間の自由な交渉に基づく合意によつて定められるものではなく、原則として、国民の代表者により構成される国会の制定した法律、予算によつて定められることとなつているのである。その場合、使用者としての政府にいかなる範囲の決定権を委任するかは、まさに国会みずから立法をもつて定めるべき労働政策の問題である。したがつて、これら公務員の勤務条件の決定に関し、政府が国会から適法な委任を受けていない事項について、公務員が政府に対し争議行為を行うことは、的はずれであつて正常なものとはいいがたく、もしこのような制度上の制約にもかかわらず、公務員による争議行為が行われるならば、使用者としての政府によつては解決できない立法問題に逢着せざるをえないこととなり、ひいては民主的に行われるべき公務員の勤務条件決定の手続過程を歪曲することともなつて、憲法の基本原則である議会制民主主義(憲法四一条、八三条等参照)に背馳し、国会の議決権を侵す虞れすらなしとしないのである。」これを要するに、非現業の国家公務員の場合、その勤務条件は、憲法上、国民全体の意思を代表する国会において法律、予算の形で決定すべきものとされており、労使間の自由な団体交渉に基づく合意によつて決定すべきものとはされていないので、私企業の労働者の場合のような労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権の保障はなく、右の共同決定のための団体交渉過程の一環として予定されている争議権もまた、憲法上、当然に保障されているものとはいえないのである。

右の理は、公労法の適用を受ける五現業及び三公社の職員についても、直ちに又は基本的に妥当するものということができる。それは、五現業の職員は、現業の職務に従事している国家公務員なのであるから、勤務条件の決定に関するその憲法上の地位は上述した非現業の国家公務員のそれと異なるところはなく、また、三公社の職員も、国の全額出資によつて設立、運営される公法人のために勤務する者であり、勤務条件の決定に関するその憲法上の地位の点では右の非現業の国家公務員のそれと基本的に同一であるからである。三公社は、このような公法人として、その法人格こそ国とは別であるが、その資産はすべて国のものであつて、憲法八三条に定める財政民主主義の原則上、その資産の処分、運用が国会の議決に基づいて行われなければならないことはいうまでもなく、その資金の支出を国会の議決を経た予算の定めるところにより行うことなどが法律によつて義務づけられた場合には、当然これに服すべきものである。そして、三公社の職員の勤務条件は、直接、間接の差はあつても、国の資産の処分、運用と密接にかかわるものであるから、これを国会の意思とは無関係に労使間の団体交渉によつて共同決定することは、憲法上許されないところといわなければならないのである。

もつとも、現行の法制度をみると、公労法一条一項は、「この法律は、公共企業体及び国の経営する企業の職員の労働条件に関する苦情又は紛争の友好的且つ平和的調整を図るように団体交渉の慣行と手続とを確立することによつて、公共企業体及び国の経営する企業の正常な運営を最大限に確保し、もつて公共の福祉を増進し、擁護することを目的とする。」と規定し、その一七条一項において、同法が適用される職員と労働組合の争議行為及びそのあおり等の行為を禁止しながら、四条において、職員に対し団結権を付与しているほか、八条において、五現業及び三公社の管理運営に関する事項を除き当局側との団体交渉権、労働協約締結権を認めている。しかしながら、このような労働協約締結権を含む団体交渉権の付与は、憲法二八条の当然の要請によるものではなく、国会が、憲法二八条の趣旨をできる限り尊重しようとする立法上の配慮から、財政民主主義の原則に基づき、その議決により、財政に関する一定事項の決定権を使用者としての政府又は三公社に委任したものにほかならない。そして、五現業及び三公社は、法律上、資金の支出を国会の議決を経た予算の定めるところにより行うことが義務づけられ、職員の給与については特に国会の議決を経た当該年度の予算中の給与総額を超えることができないものとされているとともに、公労法一六条によつて、予算上又は資金上不可能な資金の支出を内容とするいかなる協定も国会が承認するまでは政府を拘束せず、その承認によつて初めて資金の支出が許容されるものと定められており、その団体交渉権は、私企業におけるそれに比して、重大な制約を受けているが、これは、国会が、右の財政民主主義の原則に基づき、政府又は三公社に対する委任に特別の留保を付したことを意味するものと解すべきである。

ところで、このような見解に対しては、弁護人らから、いろいろの角度による反論が試みられるので、以下、その主な主張に対し簡潔に当裁判所の判断を示しておきたい。

(イ) まず、公務員その他の公共的職務に従事する職員に対する給与その他の勤務条件は、国の財政と密接な関連を有し、その決定につき国会の承認を経由する必要があるとしても、国会が大綱的基準を定めてその具体化を労使間の団体交渉によつて決定するという制度を設けることは憲法上可能であり、五現業及び三公社の職員に関しては現にそのような制度をとつているのであるから、右のことから、憲法上、右の勤務条件の基準がすべて法律、予算によつて決定されることを要し、その間に労使間の団体交渉による決定という観念をいれる余地がないとすることはできない、との主張がある。しかしながら、大綱的基準のもとでその具体化を団体交渉によつて決定するという制度をとる余地があるにしても、そのような制度が憲法上当然に保障されているわけではない。すなわち、それは、団体交渉によつて具体的な勤務条件を決定するという余地を国会から付与されて初めて認められるものであつて、国会の意思とは無関係に、憲法上の要請として存在するものとすることはできないのである。労使間の団体交渉による勤務条件の共同決定権が憲法上当然に保障されていると主張することは、その事項につき国会に決定権が存在しないということに帰し、前述した憲法上の原則(四一条、八三条等)に沿わないというほかはない。

(ロ) 次に、労使間の団体交渉により、勤務条件を最終的に決定することが許されないとしても、国会の承認を求める原案を決定することはできるはずであるから、その意味における団体交渉権が憲法上保障されているものと解すべきである、とする主張がある。しかしながら、もし右の意味における共同決定の権利が憲法上保障されているものとすれば、勤務条件の原案につき労使間に合意が成立しない限り政府はこれを国家に提出することができないこととなり、常に合意をもたらしうるという制度的保障が欠けていることとあいまつて、国会の決定権の行使が損なわれるおそれがあるものというべきであり、他に、このような特殊の権利が憲法上保障されていると解すべき根拠は、見当らない。

(ハ) さらに、勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権が憲法上保障されていないとしても、公務員等がその勤務条件に関する正当な利益を要求し、これを守るために団結して意思表示をし、争議行為によつて国会による決定などに対して影響力を行使することは、憲法がこれを許容しているものと解することができる、という主張がある。しかしながら、争議権については、憲法上、勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権が存在することを前提として、交渉に行詰りが生じた場合の打開手段としてそれが保障されているかどうかが論ぜられるべきであつて、右の前提を欠く場合にも単なる意思表示の手段として保障されると解するのは、相当でない。職務不提供の権利である同盟罷業権を中心とする争議権が公務員等のため当然の意思表示の手段として憲法上原則的に保障されており、かつ、国会に対してもこれを行使することが許されると解するのは、不合理というほかないのである。

(三) さらに、全農林事件判決が、非現業の国家公務員の社会的、経済的関係における地位の特殊性について判示するところによれば、「私企業の場合と対比すると、私企業においては、極めて公益性の強い特殊のものを除き、一般に使用者にはいわゆる作業所閉鎖(ロツクアウト)をもつて争議行為に対抗する手段があるばかりでなく、労働者の過大な要求を容れることは、企業の経営を悪化させ、企業そのものの存立を危殆ならしめ、ひいては労働者自身の失業を招くという重大な結果をもたらすことともなるのであるから、労働者の要求はおのずからその面よりの制約を免れず、ここにも私企業の労働者の争議行為と公務員のそれとを一律同様に考えることのできない理由の一が存するのである。また、一般の私企業においては、その提供する製品または役務に対する需給につき、市場からの圧力を受けざるをえない関係上、争議行為に対しても、いわゆる市場の抑制力が働くことを必然とするのに反し、公務員の場合には、そのような市場の機能が作用する余地がないため、公務員の争議行為は場合によつては一方的に強力な圧力となり、この面からも公務員の勤務条件決定の手続をゆがめることとなるのである。」というのである。右判示の趣旨は、五現業及び三公社の職員についても、基本的にあてはまるものといわなければならない。けだし、これらの事業は、経済的活動を伴うものではあるが、私企業のように利潤の追求を本来の目的とするものではなくて国の公共的な政策を遂行するものであり、かつ、その労使関係にはいわゆる市場の抑制力が欠如していることの結果として、非現業の公務におけると同様、争議権は、適正な勤務条件を決定する機能を十分に果たすことができず、競合する国民の諸要求を公平に調整すべき行政当局や国会等に対する一方的な圧力と化するおそれがあるからである。のみならず、これらの事業は、それが独占的なものないし公共性の強いものであるところから、その争議行為のもつ圧力は著しく強大となり、公正な決定過程を歪めるおそれをさらに増大させることになるといいうるのである。

加えて、全農林事件判決が、非現業の国家公務員の職務の公共性につき判示するところの、「公務員は、私企業の労働者と異なり、国民の信託に基づいて国政を担当する政府により任命されるものであるが、憲法一五条の示すとおり、実質的には、その使用者は国民全体であり、公務員の労務提供義務は国民全体に対して負うもの」であるとする点、及びその争議行為が「多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、その停廃は勤労者を含めた国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、またはその虞れがある。」とする点は、ひとしく五現業の職員にあてはまり、また、その趣旨は、三公社の職員にも及ぶものということができる。なぜならば、これらの職員は、身分及び職務の性質、内容において右の非現業の国家公務員と異なることはあつても、等しく公共的職務に従事する職員として、実質的に国民全体に対し労務を提供する義務を負うものである点では、両者の間に基本的な相違がなく、これらの職員の業務が、「多かれ少なかれ、また、直接と間接との相違はあつても、等しく国民生活全体の利益と密接な関連を有するものであり、その業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあることは疑いをいれない」ことは、さきに東京中郵事件判決が判示したとおりであるからである。

したがつて、このような事情を考慮するならば、国会が、国民全体の共同利益を擁護する見地から、勤務条件の決定過程が歪められたり、国民が重大な生活上の支障を受けることを防止するため、必要やむをえないものとして、これらの職員の争議行為を全面的に禁止したからといつて、これを不当な措置であるということはできない。

(四) また、全農林事件判決は、非現業の国家公務員に関し、「公務員についても憲法によつてその労働基本権が保障される以上、この保障と国民全体の共同利益の擁護との間に均衡が保たれることを必要とすることは、憲法の趣意であると解されるのであるから、その労働基本権を制限するにあたつては、これに代わる相応の措置が講じられなければならない。」と判示している。右の判示が五現業及び三公社の職員に関しても妥当することは、いうまでもない。この点につき現行法制をみると、まず、これらの職員は、国家公務員又はこれに準ずる者として、法律によつて、身分の保障を受け、その給与については生計費並びに一般国家公務員及び民間事業の従事者の給与その他の条件を考慮して定めなければならない、とされている。そして、特に公労法は、当局と職員との間の紛争につき、あつせん、調停及び仲裁を行うための公平な公共企業体等労働委員会を設け、その三五条本文において、「委員会の裁定に対しては、当事者は、双方とも最終的決定としてこれに服従しなければならず、また、政府は、当該裁定が実施されるように、できる限り努力しなければならない。」と定め、さらに、同条但書は同法一六条とあいまつて、予算上又は資金上不可能な支出を内容とする裁定についてはその最終的な決定を国会に委ねるべきものとしているのである。これは、協約締結権を含む団体交渉権を付与しながら争議権を否定する場合の代償措置として、よく整備されたものということができ、右の職員の生存権擁護のための配慮に欠けるところがないものというべきである。

(五) 以上の理由により、公労法一七条一項による争議行為の禁止は、憲法二八条に違反するものではない。

なお、上述したところは、公労法一七条一項が憲法二八条に違反するものではないことを憲法上の解釈として判示したにとどまるのであつて、公労法一七条一項その他公務員等の労働基本権にかかわる現行法規につきその立法政策的な当否を論ずるものではない。非現業の国家公務員に関して全農林事件判決が、また非現業の地方公務員に関して岩手県教組事件判決が、そうして五現業の国家公務員及び三公社の職員に関して本判決がそれぞれ判示するところは、(イ) 公務員及び三公社その他の公共的職務に従事する職員は、財政民主主義に表れている議会制民主主義の原則により、その勤務条件の決定に関し国会又は地方議会の直接、間接の判断を待たざるをえない特殊な地位に置かれていること、(ロ) そのため、これらの者は、労使による勤務条件の共同決定を内容とするような団体交渉権ひいては争議権を憲法上当然には主張することのできない立場にあること、(ハ) さらに、公務員及び三公社の職員は、その争議行為により適正な勤務条件を決定しうるような勤務上の関係にはなく、かつ、その職務は公共性を有するので、全勤労者を含めた国民全体の共同利益の保障という見地からその争議行為を禁止しても、憲法二八条に違反するものとはいえないこと、に帰するのである。これを言い換えるならば、国会が、その立法、財政の権限に基づき、一定範囲の公務員その他の公共的職務に従事する職員の勤務条件に関し、職員との交渉によりこれを決定する権限を使用者としての政府その他の当局に委任し、さらにはこれらの職員に対し争議権を付与することも、憲法上の権限行使の範囲内にとどまる限り、違憲とされるわけはないのである。現行法制が、非現業の公務員、現業公務員、三公社職員、それ以外の公共的職務に従事する職員の三様に区分し、それぞれ程度を異にして労働基本権を保障しているのも、まさに右の限度における国会の立法裁量に基づくものにほかならない。

三公労法一七条一項違反の争議行為と刑事法上の違法性

(一) ところで、本件における争点は、既に述べたとおり、公労法一七条一項に違反して行われた争議行為が郵便法七九条一項その他の罰則の構成要件にあたる場合に、なおも労組法一条二項の適用があると解すべきかどうか、ということである。この問題は、ある行為が右の罰則に定める構成要件を充たし、かつ、特段の違法性阻却事由が存在しない限りは違法性があると認められるような場合に、それが争議行為として行われたときは、そのことの故に右にいう特段の違法性阻却事由があると認めるべきかどうか、という解釈上の問題にほかならないのであるが、これに対して、ただ、公労法一七条一項による争議行為の禁止が憲法二八条に違反しないこと及びその行為がこの禁止に違反して行われたものであることのみを根拠として、直ちに違法性の阻却を否定する結論に導くのは相当でなく、さらに、広く憲法及び法律の趣旨にかえりみて、解釈上、違法性の阻却を肯定する余地があるかどうかを考察したうえで結論を下すことが必要である。よつて、この点につき次に検討する。

(1) 初めに、憲法二八条の趣旨からこの問題を考えてみると、既に説示した理由によつて、公労法一七条一項による争議行為の禁止が憲法二八条に違反しておらず、その禁止違反の争議行為はもはや同法条による権利として保障されるものではないと解する以上、民事法又は刑事法が、正当性を有しない争議行為であると評価して、これに一定の不利益を課することとしても、その不利益が不合理なものでない限り同法条に牴触することはない、というべきである。

公労法三条は、右の争議行為に対する民事法上の効果として、五現業及び三公社の職員に関する労働関係について、労働組合又は組合員の損害賠償責任に関する労組法八条の規定の適用を特に除外することを定めているが、これは、公労法一七条一項に違反する争議行為が労組法八条にいう「正当なもの」にあたらないので、損害賠償責任が免除されないことを明らかにした趣旨であるとみることができ、また、公労法一八条は、同法一七条に違反する争議行為をした職員は解雇されるものとする旨を規定しているが、これを、争議行為によつて公共性の強い四現業又は三公社の業務の正常な運営を阻害するような職員には解雇をもつて臨むのが相当であるとの判断から設けられるものであつて、そのいずれも、不合理な規定と解すべき理由はない。

次に、刑事法上の効果についてみると、右の民事法上の効果と区別して、刑事法上に限り公労法一七条一項違反の争議行為を正当なものと評価して当然に労組法一条二項の適用を認めるべき特段の憲法上の根拠は、見出しがたい。かりに、争議行為が憲法二八条によつて保障される権利の行使又は正当な行為であることの故に、これに対し刑罰を科することが許されず、労組法一条二項による違法性阻却を認めるほかないものとすれば、これに対し民事責任を問うことも原則として許されないはずであつて、そのような争議行為の理解は、公労法一七条一項が憲法二八条に違反しないとしたところにそぐわないものというべきである。また、東京中郵事件判決は、「勤労者の争議行為等に対して刑事制裁を科することは、必要やむを得ない場合に限られるべきであり、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては、特別に慎重でなければならない。」、「現行法上、契約上の債務の単なる不履行は、債務不履行の問題として、これに契約の解除、損害賠償責任等の民事的法律効果が伴うにとどまり、刑事上の問題としてこれに刑罰が科せられないのが原則である。このことは、人権尊重の近代的思想からも、刑事制裁は反社会性の強いもののみを対象とすべきであるとの刑事政策の理想からも、当然のことにほかならない。」と判示しているが、右の判示は、刑事法上の違法性の存否ないし程度を考える場合に考慮すべきことを一般的に説くにとどまるのであつて、具体的を刑罰の合憲性と行為の違法性については、それぞれの罰則と行為に即して具体的に検討しなければならないのである。結局、憲法二八条の趣旨からいつて当然に労組法一条二項の適用を認めるべきであるとする見解は、これを支持することができない。

(2) さらに、法律の趣旨に即して検討すると、まず、公労法三条一項に労組法一条二項の適用を除外する旨の積極的な明文の定めがないことを根拠として、公労法一七条一項に違反する争議行為についてもなお労組法一条二項の適用があるとみてその刑事法上の違法性阻却を肯定するのが公労法の趣旨に沿う解釈であるとする考えがある。しかしながら、同法三条一項が、「公共企業体等の職員に関する労働関係については、この法律の定めるところにより、この法律に定のないものについては、労働組合法(昭和二十四年法律第百七十四号)(第五条第二項第八号、第七条第一号但書、第八条及び第十八条から第三十二条までの規定を除く。)の定めるところによる。」と規定し、労組法の規定を適用する場合を公労法に定めのない場合に限定しているところからみると、右の職員に関する労働関係のうち、団体交渉等については、公労法に定めのない場合にあたるので、労組法一条二項が適用されて、その正当なものは違法性が阻却されるけれども、争議行為については、公労法一七条一項にいつさいの行為を禁止する定めがあつて、これに違反することが明らかであるので、労組法一条二項を適用する余地はないと解される。これを言い換えると、公労法は明文をもつて労組法一条二項の適用を除外しているわけではないが、それは、公労法一七条一項違反の争議行為を刑事法上正当なものと認める意味をもつものではないのである。さらに、もともと労組法一条二項が、刑法三五条の規定は労働組合の団体交渉その他の行為であつて労組法一条一項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるとしているのは、東京中郵事件判決も説くように、右の行為が憲法二八条の保障する権利の行使であることからくる当然の結論を注意的に規定したものと解すべきであるから、前述のように憲法二八条に違反しないとされる公労法一七条一項によつていつさい禁止されている争議行為に対しては、特別の事情のない限り、労組法一条二項の適用を認めえないのがむしろ当然であって、同条項の適用を除外する旨の明文の規定がないことにことさらな意味付けをするのは、相当でない。

(3) 次は、東京中郵事件判決において示された解釈のように、公労法が制定されるまでの経過を考慮するときは同法一七条一項違反の争議行為についても労組法一条二項の適用があると解すべきものとする見方についてである。

いま、公労法の制定に至る立法経過を概観すると、昭和二一年三月一日に施行された旧労組法(昭和二〇年法律第五一号)においては、公務員も原則として私企業労働者と同一の権利を保障され、続いて同年一〇月一三日に施行された労働関係調整法においては、三八条で、「警察官吏、消防職員、監獄において勤務する者その他国又は公共団体の現業以外の行政又は司法の事務に従事する官吏その他の者は、争議行為をなすことはできない。」と定められ、郵政職員を含む現業の公務員は原則として争議行為を許されていたが、

(イ) 連合国最高司令官の書簡に基づいて昭和二三年七月三一日に制定、施行された政令第二〇一号においては、現業の公務員を含むすべての公務員の争議行為が禁止され、その違反に対し刑罰が科せられることになつた。すなわち、その二条一項は、「公務員は、何人といえども、同盟罷業又は怠業的行為をなし、その他国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議手段をとつてはならない。」と定め、三条は、その違反に対して一年以下の懲役又は五、〇〇〇円以下の罰金が科せられる旨を定めた。

(ロ) ついで、昭和二三年一二月三日に改正、施行された国家公務員法(以下「国公法」という。)においては、一般職のすべての国家公務員の争議行為が禁止されることは右の政令におけると同様であるが、単に争議行為に参加したに過ぎない者は処罰されることがなく、「何人たるを問わず」争議行為の「遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」だけが三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金の刑で処罰されることになつた(昭和四〇年法律第六九号による改正前の国公法九八条五項、一一〇条一七号、同改正後の同法九八条二項、一一〇条一項七号)。(地方公務員についても、昭和二六年二月一三日施行の地方公務員法三七条一項、六一条四号の規定により、同様の措置が採られた。)

(ハ)さらに、昭和二四年六月一日施行の公共企業体労働関係法においては、日本国有鉄道及び日本専売公社の二つの公共企業体につき、その職員のいつさいの争議行為が禁止されたが、禁止違反に対する刑事制裁の規定は設けられず、同法に違反する争議行為をしたこと自体を理由として同法によつて刑事責任を問われることはないものとされた。同法は、昭和二七年七月三一日の改正により、公共企業体等労働関係法となり、郵政職員を含む五現業の職員の争議行為等についても国公法の規定の適用が排除されて公労法の規定が適用されることになつたのである。

このようにして、同法には禁止違反の争議行為に対する刑事制裁の規定が欠けているが、その故をもつて、その争議行為についても原則として刑事法上の違法性阻却を認めるのが同法の趣旨であると解することは、合理的でない。由来、争議行為に関して適用が問題となる罰則には、争議行為の禁止規定の実効性を確保するためにその違反に対し制裁として刑罰を科することを定めるものと、その適用対象を争議行為に限定することなく、ある類型の行為に対し一般的に刑罰を科することを定め、その結果として、争議行為におけるその類型の行為に対しても適用されることになるものとがある。本件で問題とされる郵便法七九条一項は、「郵便の業務に従事する者がことさらに郵便の取扱をせず、又はこれを遅延させたときは、これを一年以下の懲役又は二万円以下の罰金に処する。」と規定しており(昭和二六年法律第一二八号による改正前の罰金額は二、〇〇〇円以下であつた。)、その要件及び沿革に照らすときは、それが後者に属する罰則であることが明らかである。このように、公労法一七条一項違反の争議行為に対し前者の意味での刑事制裁の規定がないことは、その違反を理由としては刑罰を科さないことを意味するにとどまるのであつて、郵便法七九条一項などの後者の罰則に該当する争議行為に対しても刑事法上の違法性阻却を認める趣旨であると解することは、合理性を欠き、他に特段の事情のない限り、許されないのである。なお、公労法が制定された際の国会の審議において、政府当局者から、同法一七条一項違反の争議行為については労組法一条二項の適用がなく、その刑事法上の違法性が阻却されない旨が答弁されており(昭和二三年一一月二九日第三回国会衆議院労働委員会議録一二号、同年一二月八日第四回国会参議院労働委員会会議録三号参照)、公労法がそのことを前提として制定されている経過も、解釈上の参考とするに値しよう。

(4) また、刑罰を科するための違法性は、一般に行政処分や民事責任を課する程度のものでは足りず、一段と強度のものでなければならないとし、公労法一七条一項違反の争議行為には右の強度の違法性がないことを前提に、労組法一条二項の適用がある解すべきである、とする見解がある。確かに、刑罰は国家が科する最も峻厳な制裁であるから、それにふさわしい違法性の存在が要求されることは当然であろう。しかし、その違法性の存否は、ここに繰り返すまでもなく、それぞれの罰則と行為に即して検討されるべきものであつて、およそ争議行為として行われたときは公労法一七条一項に違反する行為であつても刑事法上の違法性を帯びることがないと断定するのは、相当でない。特に、この条項は、前記のとおり、五現業及び三公社の職員に関する勤務条件の決定過程が歪められたり、国民が重大な生活上の支障を受けることを防止するために規定されたものであつて、その禁止に違反する争議行為は、国民全体の共同利益を損なうおそれがあるものというほかないのであるから、これが罰則に触れる場合にその違法性の阻却を認めえないとすることは、決して不合理ではないのである。してみると、公労法において禁止された争議行為が合理的に定められた他の罰則の構成要員を充足している場合にその罰則を適用するにあたり、かかる争議行為とは無関係に行われた同種の違法行為を処罰する通常の場合に比して、より強度の違法性が存在することを要求するのは、当をえないものといわなければならない。なお、郵便法七九条一項が公共性の強い郵便業務を保護するための罰則であつて不合理なものといえないことは、東京中郵事件判決が説示するとおりである。

(二) 以上の理由により、公労法一七条一項違反の争議行為についても労組法一条二項の適用があり、原則としてその刑事法上の違法性が阻却されるとした点において、東京中郵事件判決は、変更を免れないこととなるのである。

なお、これまでの考察は、冒頭に指摘した争点、すなわち、公労法一七条一項に違反して行われた争議行為そのものが郵便法七九条一項その他の罰則の構成要件にあたる場合になおも労組法一条二項の適用があると解すべきかどうか、を直接の対象とするものであつて、右の争議行為に際しこれに付随して行われた犯罪構成要件該当行為に関する違法性阻却事由の有無の判断については、後に本件建造物侵入罪の成否を論じる際にこれを述べる。

四公労法一七条一項違反の争議行為と刑事法上の処罰

(一) 公労法一七条一項に違反する争議行為が郵便法七九条一項などの罰則の構成要件に該当する場合に労組法一条二項の適用がないことは、上述したとおりであるが、そのことから直ちに、原則としてその行為を処罰するのが法律秩序全体の趣旨であると結論づけるのは、早計に失する。すなわち、罰則の構成要件に該当し、違法性があり、責任もある行為は、これを処罰するのが刑事法上の原則であるが、公労法の制定に至る立法経過とそこに表れている立法意思を仔細に検討するならば、たとい同法一七条一項違反の争議行為が他の法規の罰則の構成要件を充たすことがあつても、それが同盟罷業、怠業その他単なる労務不提供のような不作為を内容とする争議行為である場合には、それを違法としながらも後に判示するような限度で単純参加者についてはこれを刑罰から解放して指導的行為に出た者のみを処罰する趣旨のものであると解するのが、相当である。

(二) 前述のとおり、郵政職員の争議行為は、政令第二〇一号が施行されるまでは原則として許されていたのであるから、その間に郵便法七九条一項に該当する争議行為が行われたとしても、許されている範囲内においては正当な行為として違法性を阻却されたのである。

ところが、政令第二〇一号が施行されたことにより、右の争議行為は、正当性を失い、同政令と郵便法七九条一項の二つの罰則に該当するようになつた。ただ、この二つの罰則は、特別法、一般法の関係に立つものと解されるので、従前に正当と解されていたような争議行為は、同政令の罰則によつて処罰されるのみで、郵便法七九条一項によつて処罰されることはなかつた。すなわち、当裁判所昭和二四年(れ)第一九一八号同三〇年一〇月二六日大法廷判決(刑集九巻一一号二三一三頁)は、現業の国家公務員である鉄道職員が共同で職場を放棄して鉄道業務に支障を生じさせた事案につき、政令第二〇一号の罰則は刑法二三四条の威力業務妨害罪の特別法であるから前者を適用して処罰するにとどめるべきであると判示したが、これは、局政令が占領下における臨時応急の措置として施行され、労働関係調整法等の当時の規定と矛盾する内容を有しながらもこれを廃止又は変更する強い効力を有するに至つたという特殊な事情を考慮し、同政令の罰則をこれまで正当と認められていたような争議行為による公務員の業務阻害行為に対する排他的な罰則であると解したものであつて、この判旨によるときは、同政令の罰則と郵便法七九条一項との関係も同様の解釈があてはまることになるのである。

その後、国公法の改正により、現業の国家公務員を含むすべての一般職国家公務員の争議行為に関し、これをあおり、そそのかすなどの指導的行為に出た者のみを処罰する規定が設けられ、郵政職員もこの罰則の適用を受けるようになつた。そうして、同法は、一般職国家公務員の労働関係についての基本的、統一的な規範を明らかにし、恒久的な制度を定めたものであるため、その制定に伴い、その罰則を政令第二〇一号の罰則のような特別法と解する根拠が失われ、これを国公法に違反する争議行為に対する排他的なものと解して郵便法七九条一項など他の罰則の適用を排除するということが許されないこととなつたのである。しかしながら、右の国公法の罰則が、政令第二〇一号の基本的政策を踏襲しつつ、他面において、争議行為の単純参加者までを処罰していた同政令の厳しい態度を特に緩和し、それまで同政令の罰則と刑法の共犯規定とによつて処罰していたあおり、そそのかしなどの指導的行為のみを処罰することとした趣旨を考慮するときは、同政令の適用を受けていた当時において、その罰則と郵便法七九条一項の構要成件にあたる行為をし、同政令の罰則のみによつて処罰されていた争議行為の単純参加者は、国公法の適用を受けるに至つた後においては、同法の罰則の適用を受けないばかりでなく、その行為の違法性をそのままにしながらも、郵便法七九条一項によつても処罰されなくなつたものと解するのが、立法の経過に沿う解釈として妥当である。すなわち、国公法の罰則に該当しないような単純参加行為は、右の限度で郵便法七九条一項による処罰を阻却され、国公法の罰則に該当するような指導的行為は、その罰則と共に郵便法七九条一項の罪の教唆犯等の規定に触れ、両者は観念的競合の関係に立つとするのが、合理的な解釈なのである。

(三) ところで、郵政職員は、その後、罰則を含む国公法中の労働関係規定の適用を除外され、争議行為について罰則の定めのない公労法の適用を受けることになつた。しかしながら、そのことから当然に、同法が適用される職員の争議行為については、それが同時に他の刑罰法規に該当する場合においても、すべて刑罰から解放され、あるいはその刑事法上の違法性が阻却されると解すべき実質的な根拠はない。換言すれば、公労法の適用を受けることになつて以後の郵政職員は、国公法の罰則の適用を免れたばかりでなく、右のことを理由として、郵便法七九条一項の該当行為についても全面的に処罰を免れたり、違法性が阻却されるようになつたとまで結論づけるのは、合理的でないのである。むしろ、後記のように、争議行為そのものの原動力となる指導的行為は、単純参加行為に比し、その反社会性、反規範性が強大であつて、国公法上も単純参加行為とは区別した取扱いがされていることにかんがみると、かかる指導的行為をした者は、公労法の適用を受けることになつて後は、それまで国公法の罰則と郵便法七九条一項の罪の教唆犯等の規定により処罰されていたものが、前者の適用を除外されて後者の教唆犯等として処罰されるにとどまることとなつたと解するのが、相当である。もつとも、国公法の適用を受けていた段階で前述のように郵便法七九条一項による処罰を免れていた単純参加者は、公労法の適用を受けるようになつた後も、郵便法七九条一項による処罰を阻却されるものと解すべきことは、当然である。

(四) 右のように、争議行為の単純参加行為をその指導的行為と区別し、前者を一定の限度で不処罰とすることは、上述した国公法の罰則の立法趣旨ばかりでなく、争議行為に関する他の罰則の変遷とその底流にある法の理念にもよく適合するものと考えられる。

すなわち、古くは、明治三三年に施行された治安警察法(明治三三年法律第三六号)中、大正一五年に削除された一七条、三〇条において、同盟罷業の単純参加行為は処罰されておらず、これを遂行する目的などで他人を誘惑又は煽動する行為に処罰対象が限定されていた。また、昭和二一年施行当時の労働関係調整法三九条は、国又は公共団体の現業以外の行政又は司法の事務に従事する官吏その他の者が同法三八条に違反して争議行為に出た場合につき、その違反行為に対し責任のある団体の役員等についてのみ罰金刑を科することとしていたのである。これらの罰則は、いずれも争議行為に関する制裁規定であつて、他の罰則の適用を限定することを趣旨とするものではないが、そこには、単に争議行為に参加したに過ぎない者とその原動力となる指導的行為をした者との間に、反社会性、反規範性において差異があるとの認識と、指導的行為の処罰をもつて争議行為禁止規定の実効性を確保することが妥当であるとする見解と、さらには、勤務条件の改善を求めて単に職務の提供を拒否するに過ぎない行為に対しては特段の事情のない限り刑事制裁を抑制するのが相当であるとの配慮とが、存在するものとみることができよう。公労法一七条一項違反の争議行為に関する刑事罰の範囲について立法意思を探求するにあたつても、右のような立法の変遷とそこに看取される法の理念は、重要な資料となるものというべきである。

思うに、公務員その他の公共的職務に従事する職員の争議行為に関する法制は、第二次世界大戦後、数次の変遷をたどる過程のなかで、連合国最高司令官の書簡に基づき早急に整備されたという特殊な事態も介在し、ために一義的な解釈を困難にする法律問題を提起する場合もなしとはしないのが、現実の姿である。当裁判所が、本件の問題の解釈にあたり、公労法の制定に至る立法経過と法の理念を重視し、あわせて解釈上疑問の生じる点については合理的な限度において処罰を抑制する方向でこれを解消するという態度をとつたゆえんのものも、このような特殊性に対する考慮を必要としたからにほかならない。

(四) そこで、最後に、公労法一七条一項に違反する争議行為の単純参加行為につき刑事法上の処罰の阻却を認めるべき範囲は、処罰の阻却を認める根拠の面から、これを限定しなければならない、ということについて述べておきたい。

まず、国公法の罰則があおり、そそのかしなどの指導的行為に処罰対象を絞つているのは、東京中郵事件判決が指摘するとおり、同盟罷業、怠業その他単なる労務不提供のような不作為を内容とする争議行為に対する刑事制裁をいかにするかを念頭に置いてのことであるので、単純参加行為に対する処罰の阻却も、そのような不作為的行為についてのみその事由があるとしなければならない。ここで単純参加行為に対する処罰の阻却を肯定するのは、もとよりその行為を適法、正当なものと認めるからではなく、違法性を阻却しないけれども、右に述べた諸般の考慮から刑事法上不処罰とするのが相当であると解されるからなのである。

さらに、この場合の処罰の阻却は、その根拠となる立法経過からみるとき、公労法一七条一項の争議行為の禁止規定が存在しなければ正当な争議行為として処罰を受けることのないような行為に限定される。けだし、政令第二〇一号が施行される以前においては、前述のとおり、現業公務員の争議行為は許されていたが、その当時においても、違法な争議行為に対しては、それが単純参加行為であつても、争議行為として行われたものでない一般の行為に対するのと同様に、郵便法七九条一項その他の罰則が適用されていたのであるから、争議行為が禁止されるようになつて、かえつてその処罰が阻却されることになつたと解するのは、明らかに不合理であるからである。

五本件における郵便法七九条一項の罪の幇助罪の成否

冒頭に記載した松崎善治ら九名の行為は、郵便の遅延を招くおそれのある業務の不取扱いであつて、郵便法七九条一項に該当するものというほかはなく、かつ、これを幇助した被告人らの行為は、国公法の罰則における「あおり」に該当するような指導的行為であるから(全農林事件判決及び岩手県教組事件判決における「あおり」の定義を参照)、処罰を免れない。

六結び

以上の次第で、原判決は、憲法二八条の解釈を誤り、ひいては公労法一七条一項の解釈を誤つたものであつて、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。

(建造物侵入の事実について)

一争議行為に付随する行為の刑事法上の評価

右のように、公労法一七条一項に違反する争議行為が刑法その他の罰則の構成要件に該当する場合には、労組法一条二項の適用はなく、他の特段の違法性阻却事由が存在しない限り、刑事法上これを違法と評価すべきものであるが、そのことと、右の争議行為に際しこれに付随して行われた犯罪構成要件該当行為についての違法性阻却事由の有無の判断とは、区別をしなければならない。すなわち、このような付随的な行為は、直接公労法一七条一項に違反するものではないから、その違法性阻却事由の有無の判断は、争議行為そのものについての違法性阻却事由の有無の判断とは別に行うべきであつて、これを判断するにあたつては、その行為が同条項違反の争議行為に際し付随して行われたものであるという事実を含めて、行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮に入れ、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否かを考察しなければならないのである。

二本件における建造物侵入罪の成否

これを本件における建造物侵入の行為についてみると、被告人らは、公労法一七条一項に違反する争議行為への参加を呼びかけるため、すなわち、それ自体同条項に違反するあおり行為を行うため、立入りを禁止された建造物にあえて立ち入つたものであつて、その目的も、手段も、共に違法というほかないのであるから、右の行為は、結局、法秩序全体の見地からみて許容される余地のないものと解さざるをえない。

三結び

原判決は、右の点においても、憲法二八条の解釈を誤つたものであり、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。

(公務執行妨害の事実について)

所論引用の最高裁判所判例(昭和三八年(あ)第一一八四号同四二年五月二四日大法廷判決・刑集四巻一〇号二一一五頁)、大審院判例(昭和八年(れ)第一一九号同年四月一五日判決・刑集一二巻四二七頁)及び高等裁判所判例(昭和三一年(う)第三七二号、三七三号、三七四号同年四月二一日福岡高等裁判所判決)は、いずれも本件と事案を異にして適切でなく、所論は、刑訴法四〇五条の適法な上告理由にあたらない。

(結論)

以上のとおり、郵便法違反幇助及び建造物侵入の各事実に関する原判決の判断は、いずれも憲法二八条の解釈を誤つたものであるから論旨は理由がある。よつて右各事実に関するその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四一〇条一項本文により原判決中右各事実に関する部分を破棄し、なお、第一審判決は以上の当裁判所の判断とその結論において一致しこれを維持すべきものであつて、被告人らの各控訴及び右の部分に関する検察官の控訴は理由がないこととなるから、同法四一三条但書、四一四条、三九六条によりいずれもこれを棄却し、原審の訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文、一八二条を適用する。公務執行妨害の事実についての所論は、同法四〇五条の適法な上告理由にあたらないので、同法四一四条、三九六条により、原判決中右の部分に関する上告を棄却する。

この判決は、裁判官高辻正己の補足意見、裁判官下田武三の意見、裁判官団藤重光、同環昌一の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官高辻正己の補足意見は、次のとおりである。

私は、多数意見に同調するものであるが、多数意見が、本件のいわゆる五現業の国家公務員に関し、公労法一七条一項の規定をもつて憲法二八条に違反するものではないとする法理に非現業の国家公務員に関する全農林事件判決(昭和四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決)の判示を援用し、これに立脚してその所説を展開するところについては、その理路になお解明すべき点があるもののように思われ、その説くところが、右の判示とともに、更に将来、他の類似の事件においても判断の基礎とされることが慮られるので、この際、右の点に関し私の理解するところを明らかにし、「公労法一七条一項の合憲性」についての多数意見に対する補足の意見とする。

一  全農林事件判決は、公務員も、「勤労者として、自己の労務を提供することにより生活の資を得ているものである点において一般の勤労者と異なるところはないから、憲法二八条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶ」とし、多数意見もこれに立脚して、ともに、「国民全体の共同利益を擁護する見地から」その労働基本権に対し「必要やむをえない」制限を加えることが是認される旨をいう。この見解がその制限を加えるについて法律の根拠を必要としているものであることは、明らかである。ところで、法律は、公務員の職を一般職と特別職とに分け(国家公務員法二条一項ないし三項)、争議行為を禁止する法の一般規定(同法九八条二項)は、一般職の公務員に限つてこれを適用することにしている(同法二条四項)。特別職の公務員のうちには、その職務内容がその本質において一般職の公務員のそれと異ならないものも含まれているが、それとは全く異なり、その職に在つて国政の権力を行使、国権を発現するに当たり、しかも給与、報酬その他これに準ずる収入によつて生活し、その意味で「勤労者」たる性格を有することを否定し去ることのできないものが、含まれている。このような公務員については、例えば裁判官におけるように、争議行為を禁止する法の規定はない。

全農林事件判決及びこれに立脚する多数意見によれば、右に述べたような、争議行為を禁止する法の規定を欠く公務員のする争議行為は、すべて、憲法二八条の保障する争議権の行使として、適法であると解されるかのようである。しかし、このような結果の招来は、私の理解するところでは、全農林事件判決も多数意見も、ともに、その本旨とするところではない。けだし、憲法上、国政は国民の厳粛な信託によるものであり、その権力は国民の代表者がこれを行使するものであつて(前文第一段)、国民と、そして、国政の権力を行使して国権を発現する任に当たる公務員との関係は、信託関係以外のなにものでもないことが明らかであり、国民と他の一般公務員との関係とは異なつて、そこに使用者対勤労者というような労働関係の存在を観念する余地はなく、その種特定の公務員については、たとえその者が給与、報酬その他の収入によつて生活し、その意味では「勤労者」たる性格を有するものであることを否定し去ることはできないにしても、憲法上、その者に労働基本権の保障が及び、その者が争議権を行使し、適法に争議行為を行うことができるなどと解する余地は全くない。というべきだからである(したがつて、当然、三に後述する保障措置も問題となる余地がない。この点に関しては、憲法八〇条二項等参照)。全農林事件判決及びこれに立脚する多数意見が前示のようにいうところについては、この点に対する留意を欠くことができない、と考える。

二  公務員もまた、給与によつて生活するものである点において、他の一般の職に在る勤労者と異なるところはない。憲法は、公務員をもつて「全体の奏仕者」であるとしている(一五条二項)が、このことは、公務員の性質を示すものではあつても、およそ公務員がその勤務条件を省みず国民に奉仕すべきであるというようなことまで意味しているわけではない。公務員もまた、「勤労者」である以上、一に上述の公務員は別とし、すべて、憲法二八条により労働基本権を保障されるものであることが明らかである。そして、公務員に対する労働基本権の保障がその態様において一般勤労者に対するその保障と全く同一であるというのであれば、公務員の労働基本権そのものが法律によつて制約を加えられる余地のあろうはずはなく、憲法が相当と許容する特別の理由がある場合に必要やむを得ない限度において法律によりその権利の行使が制限されることはあり得ても、その制限が公務員の争議行為の一律全面的な禁止にまで及び、労働基本権の一環としての争議権の抹殺にまで至りうるという、事理はない。この点に関し、多数意見は、「憲法二八条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶ」とする全農林事件判決に立脚しつつ、憲法八三条の「財政民主主義に表れている議会制民主主義の原則」との関連に照らし、公務員には、憲法上、「私企業の労働者の場合のような労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権の保障はなく、右の共同決定のための団体交渉過程の一環として予定されている争議権もまた、憲法上、当然に保障されているものとはいえない」といいきる反面、右判決の判示を引用し、「公務員についても憲法によつてその労働基本権が保障される以上、この保障と国民全体の共同利益の擁護との間に均衡が保たれることを必要とする」として、右の共同利益を擁護する見地から「その労働基本権を制限するにあたつては、これに代わる相応の措置が講じられなければならない」とするのである。

公務員の生活の資である給与が、他の一般の職に在る勤労者の生活の資である賃金と異なり、国費の支出を伴わず、財政上の処理を離れて、支給されるものではなく、国会の議決に基づかないで決定されることのありうべきでないことは、憲法みずからの予定するところである(八三条、八五条参照)。このことは、とりもなおさず、憲法そのものの決意として、公務員の給与をはじめ、これと不可分の関係にあるその他の勤務条件(以下単に「勤務条件」という。)の決定が、挙げて労使間の自由な交渉に基づく合意にゆだねられているものではないことを示すもの、といわなければならない。そして、このことは利潤の追求を本来の目的とし、労働者側の利潤分配の要求が当然に是認されるとともに、その過大な要求が企業の存立に、したがつてまた労働者の地位の保全に影響を及ぼし、その争議行為に対してはいわゆる市場の抑制力が働く等、団体交渉が正常に機能する交換取引の基盤をそなえる私企業に、その労務を給付する一般勤労者の立場と、公務員の立場とが、社会的・経済的関係において全く異なるものであることに、照応するものでもある、と考えられる。公務員の勤務条件の決定が、憲法上、国会の議決に基づいてされることを要し(七三条四号参照)、その許容するところでない限り、労使間の団体交渉に基づく合意によつてされるべきでないことは、多数意見の指摘するとおりである。

以上によつてみれば、憲法は、公務員に対しても「勤労者」として労働基本権を保障しているが、同時に、公務員の勤務条件の決定をもつて、本来、労使間の自由な交渉に基づく合意にゆだねられているところではないとしていることが明らかであつて、結局、公務員に対する労働基本権の保障は、憲法上、一般勤労者に対すると全く同一の態様においてされているものではなく、公務員の勤務条件の決定方式における右の憲法上の特殊性と調和が保たれる態様においてされているものであると解するのが、相当である。そして、多数意見が前示のようにいうところはこの旨をいうに帰すると、私は、理解しているのである。

三  他の一般勤労者が労働基本権の行使によつてもたらされることのあるべき効果を国の財政制度の基本についての憲法の定めを侵害するに至らない限度において保障する機能を、その機能として営む合理的な措置(以下「保障措置」という。)が、公務員の勤務条件を定める立法に際して講じられ、そして、現にその機能の営まれることが、公務員の労働基本権の保障において、その勤労条件の決定方式における憲法上の特殊性との調和を保持するゆえんであり、その調和が保たれる態様であることを失わないのは、いうまでもない。

右の態様における保障措置の具体的な内容は、憲法が一義的に確定しているわけではない。保障措置は、もともと、財政民主主義の憲法上の要請にもとるものであるわけにはゆかないのであるから、その内容は、国会が、憲法上に保有する権限の一部を政府当局に委任し、公務員の勤務条件の決定を政府当局と公務員との間の自由な交渉に基づく合意にゆだねることとし、これに伴い、公務員に対し、団結して交渉し、あるいは行動する権利を保障することによつて、具体化されることになるほか、国会が、公務員の勤務条件を決定するに当たり、公務員の代表者の意見なり、公務員の利益を正当に保護する機能をそなえた中立的な第三者的機関の公正な意見なりを、その決定過程に反映させるようにすることによつて、具体化されることになる。これらの方法のうちそのいずれをとり、いかに組合わすかは、国会自身が、当該公務員の「勤労者」としての特性に応じ、その裁量において決定すべきことがらであるが、その裁量は、もとより、合理性をそなえているものでなければならないのである。立法上に講じられている保障措置は、このような観点からその内容が吟味されなければならないのであつて、多数意見が公共企業体等労働関係法の講じている保障措置の内容をもつて「よく整備されたもの」としているのは、この観点においていわれるもの、と理解される。

ともあれ、勤務条件の決定が、憲法上、労使間の自由な交渉に基づく合意にゆだねられているわけではない公務員について、立法上、団体交渉権なり争議権の認められないことが、憲法二八条との関連において合憲であるかどうかは、結局のところ、公務員について保障措置が講じられ、その機能が営まれているかどうかにかかることになる。すなわち、

(一)  勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権ひいて争議権が認められていない立法において、保障措置が講じられておらず、又は、講じられていても、その機能が営まれていないとき、それは、憲法二八条に適合しない立法であり、事態であるといわなければならない。この場合、公務員は、勤務条件の維持改善を図るための主張を貫徹することを目的とし、相当な手段態様においてした争議行為の故に、又はこれをあおる等の指導的行為をしたことの故に、それらの禁止規定に違反したものとして、その責めを問われるべき立場には立たない、と解さなければならない(この旨は、全農林事件判決における岸・天野両裁判官の追加補足意見において、つとに、指摘されているところである。)。

(二)  公務員について保障措置が講じられている立法は、勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権ひいて争議権が認められていないものであつても、憲法二八条に適合しない立法であるということはできない。その立法において右の措置が講じられているのは、公務員に対する労働基本権の保障が公務員の勤務条件の決定方式における憲法上の特殊性と調和が保たれる態様において果たされているものにほかならず、この関係とは別個に、右の団体交渉権なり争議権が認められていないことの合憲性を公務員の労働基本権が法律によつて制約されたものであるとの見地において論じるのは、当を得ていない、と考えられる。

裁判官下田武三の意見は、次のとおりである。

わたくしは、多数意見が、争議行為による郵便業務の不取扱ないし遅延(以下、単に「郵便不取扱」という。)は、争議行為の単純参加者によつて行なわれる場合も、刑事法上の違法性を帯びるものであるとし、正当な争議行為について違法性の阻却を認めた労組法一条二項は、かかる行為には適用がないとし、従つて東京中郵事件の判例はこれを変更すべきものとした点には、全面的に賛同するものであるが、ただ、多数意見が、このように郵便不取扱行為の違法性阻却を否定しながら、それが争議行為の単純参加者によつて行なわれる場合には、処罰を阻却されて罰せられないこととなる、とした点には、とうてい賛同することができないのである。すなわち、多数意見は、郵便法七九条一項の「郵便の業務に従事する者がことさらに郵便の取扱をせず、又はこれを遅延させたときは、これを一年以下の懲役又は二万円以下の罰金に処する。」との規定のあとに、「ただし、右の行為が争議行為の単純参加者によつて行なわれた場合は、これを罰しない。」との趣旨の但書を付したのと同様の立法的解釈を行なおうとするものであるが、わたくしは、このような解釈は、比較的重要性の少ない他の公共的業務の停廃の場合について行なわれるのならともかく、郵便不取扱の場合について行なうことは相当でないと考えるのであつて、その理由は次のとおりである。

第一に、わたくしは、多数意見が郵便業務の特質に関する考察を怠るものではないかを、おそれるものである。すなわち、多数意見は、全農林事件判決及び東京中郵事件判決を引用して、五現業、三公社を通じての職員の従事する業務の公共性を一般的に述べるにとどまり、郵便業務自体の特殊の重要性については、なんら触れるところがないのである。五現業、三公社の業務中には、例えば、多くの外国において民間の事業とされている塩、アルコール、煙草等の専売事業があり、また、同じ郵政省所管の業務のうちにも、郵便貯金、郵便振替、簡易保険等わが国内で民間の銀行、保険会社によつて行なわれる業務と本質的に異ならない業務もあるのである。多数意見は、国公法が争議行為の単純参加者を罰しないこととしていること、及び公労法において禁止違反の争議行為が刑事罰の対象とされていないこととの均衡上、争議行為の単純参加者による郵便不取扱もまた刑罰より解放されるべきものであるとするのであるが、このような見解は、他の公共的業務に比較しての郵便業務の格段の重要性と、その故に、特に郵便法に七九条一項の罰則が設けられた立法理由とを、無視するものといわなければならない。

(一)  郵便業務は国家の完全な独占事業であるため、郵便ストの場合、国民は他に代替サービスを見出すことはできない。国鉄も、同様に広く国民大衆の利用の的となつているが、郵便は、この点において、国鉄以上に公共性の高いものというべきである。

(二)  郵便不取扱が国民生活に及ぼす影響は、重大、深刻であり、かつ、広範囲にわたるものである。病状通知の書簡や入学願書の配達遅延は、直ちに、近親者の死に目に遇えない子弟や、希望校への進学の機会を失する学生の悲嘆、絶望を招くであろう。さらに、裁判所の訴訟書類、税務署の納税告知書等公文書の送達はいうに及ばず、会社の株主総会通知、債権者の催告状等私文書の送達も、通常すべて郵便業務に依存するものであり、これら公私の文書の送達が郵便不取扱によつて停廃せしめられるとき、その国民の社会生活、経済生活全般に及ぼす影響の重大さは、測り知れないものがあるであろう。

(三)  また、憲法二一条一項は、言論、出版等表現の自由を保障するが、新聞、雑誌等への寄稿郵送の過程に郵便不取扱に遇えば、右寄稿者にとつて、表現の自由は画餅に帰することとなる。相思の男女間に交わされる恋文が郵送の途に不取扱行為によつて阻害されるときは、折角の恋文の存在自体がおかされることとなるのである。また、近時わが国においても、「国民の知る権利一が、憲法レベルの問題として、あまねく唱道されるに至つたが、国民への情報媒介の主要手段たる新聞、雑誌の入手が郵便不取扱により妨害される場合は、国民はもはや「知る権利」を行使するに由なきに至るのである。

このように憲法の保障する基本的人権の保障すらも、近代社会においては実際には郵便業務の円滑な遂行に依存するところが極めて大であり、郵便法七九条一項の意図する保護法益の重要性は、文明の発達とともに評価し切れない程大なるものとなりつつあるのである。しかるに、多数意見は、この郵便業務の特殊の重要性に深く思いをいたすことなく、争議行為の単純参加者によるその停廃行為を、人的処罰阻却事由を理由として、一律に罰則の適用より解放しようとするのである。

わたくしは、五現業、三公社の業務は、いずれも国民生活全体の利益と密接な関連を有するものであるが、その公共的業務としての重要性については差等のあることを否めないと考えるものであり、したがつて、争議行為の単純参加者によるその業務の停廃行為についての刑事責任を考慮する場合にも、やはり業種別の検討を必要とするものと考えるのである。多数意見は、この業務の特殊性についての個別的、実質的検討を怠り、人的処罰阻却事由という形式的論理に基づいて、郵便法七九条一項の罰則による単純参加者の処罰をも一律に否定し去つた点に、その根本的欠陥を認めざるをえない。

第二に、わたくしは、多数意見が前記のような立法的解釈をなすに当たつて、重大な方法論的の誤りをおかすものでないかをおそれるのである。

多数意見は、「郵便法七九条一項が公共性の強い郵便業務を保護するための罰則」であることを認め、かつ、「罰則の構成要件に該当し、違法性があり、責任もある行為は、これを処罰するのが刑事法上の原則である」としながら、突如として、郵便不取扱が争議行為の単純参加者によつて行なわれる場合は、「これを刑罰から解放」しなければならない、と説くのである。そして、多数意見がこのような見解をとるに至つた主な理由は、「公労法の制定に至る立法経過とそこに表れている立法意思を仔細に検討」した結果である、というのである。

もとより、法令解釈上の問題点を究明するに当たつて、当該法令の規定自体に明確な足掛りを見出せない場合に、その法令の成立に至るまでの立法上の変遷を過去にさかのぼつて調査し、その立法の経過と立法者の意思を究明して、解釈上の参考とすることは、一般に採用される手法であり、かつ、正当な手法であると考えられる。しかし、このような手法が正当とされるためには、当該立法の年代的経過を通じ、一貫して立法者の意思の統一性と継続法が存することが、必要な前提となるものと考えられる。しかるに、多数意見が「仔細に検討」した立法の経過とは、「公労法の制定に至る立法経過」であつて、年代的にみれば、旧労働組合法の施行された昭和二一年三月一日から改正公共企業体等労働関係法の公布された昭和二七年七月三一日に至る僅か六年余のことであり、すべてわが国が独立を恢復する講和発効前のことである。この期間においては、日本政府、国会は立法の自由を有せず、しかも日本の労働法制の樹立方法及びその内容についての連合各国政府間の意見の対立は甚だしく、対日占領政策樹立機関たる極東委員会は対日労働政策については特に激しい内部意見の対立を包蔵し、これに業を煮やした連合国最高司令官はその権限において独自の政策を強行しようとしたが、肝腎の司令部内の意見がこれまた分裂を来たすという実情であつた。

いずれにするも、多数意見が検討の対象とした立法経過、特に政令第二〇一号及び改正国公法の制定前後の期間においては、ほとんど数か月ごとに労働関係法令の改廃が行なわれ、真に朝令暮改、その内容も支離滅裂というほかなく、その間立法者の意思の統一と継続性が存したとは、とうていいうことのできないものであつた。このような立法経過はもとより今日法令解釈上の参考に資するに足りないものであるが、多数意見は、却つて占領期間中に不用意に行なわれた立法の間に生じた矛盾の辻褄を強いて合わせようと試みる一方、わが国の独立恢復の四半世紀後の今日においてなお、この不規則、例外的な立法経過を主要参考事項として採り上げた末、郵便法の明文の規定に反して、前記の如き恣意的ともいうべき立法的解釈を行なおうとするものであつて、この点重大な方法論的の誤りをおかすものといわなければならない。

第三に、わたくしは、郵便法の規定に関し多数意見のような立法的解釈を行なうことは、裁判所として司法の謙抑にもとることとならないかをおそれるものである。

戦後の比類なき高度経済成長に恵まれたわが国の経済は、石油危機以来いかにして安定した長期低成長の時代に移行するかの課題に直面することとなり、反面幾多の問題を包蔵しながらも戦後の経済発展に庇護されて今日まで大きな波瀾を回避することのできたわが国の労働情勢も、この新たな情勢に即応して、従来と異なつた角度から安定の途を模索しつつあるのである。他方四半世紀前に比すれば整備されて来た労働法制も、未だ完壁の域に達するには程遠く、現にいわゆるスト権スト問題等の処理をめぐり、行政府、立法府を通じ諸種の委員会等を設けて成案の確立を急ぎつつあるのである。

このような時期においては、裁判所としての労働案件の処理には最も慎重を要するものというべきであつて、多数意見も指摘するとおり、従来の判例を改めた全農林事件、岩教組事件の両判決の指示する方向に、裁判所の見解が漸く統一せられつつある折柄、最も重要な公共的業務たる郵便業務の不取扱に対する罰則規定についてまで、いま俄かに、前述のような恣意的ともいうべき立法的解釈を行なうことは、決して司法の謙抑の原則に適合するものということはできないのである。

以上の理由により、わたくしは、郵便法七九条一項の郵便不取扱行為が、争議行為の単純参加者により行なわれる場合は、処罰を免れるものとする多数意見に賛同することができないのであるが、ただ本件被告人らは、いずれも争議行為の指導者であつて単純参加者ではないから、多数意見によつても処罰を免れないものであつて、この点の結論において、わたくしの意見となんら異なるところはない。したがつて、わたくしは、以上に掲げたわたくしの意見にもかかわらず、多数意見の結論には賛同することができるのである。

裁判官団藤重光の反対意見は、次のとおりである。

一  多数意見は、昭和四一年一〇月二六日大法廷判決・刑集二〇巻八号九〇一頁(以下、東京中郵事件判決という。)の判例を根本的に変更するものであるが、わたくしは、いまなお、この判例がすくなくとも基本的には維持されるべきものと考える。ただ、右判決は公共企業体等労働関係法(以下、公労法という。)のもとにおいて争議行為が労働組合法(以下、労組法という。)一条二項の適用上、正当性の限界をこえるばあいの基準として、(1)「争議行為が労組法一条一項の目的のためでなくして政治目的のために行なわれた場合」、(2)「暴力を伴う場合」および(3)「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合」という三点を挙げている。これらの基準のうち、(1)と(2)については、とくに問題はない(政治ストの合法性については労組法一条二項以外の別の見地から問題がありうるであろうが、ここでは立ち入らない。)。問題となるのは(3)であつて、国民生活への重大な障害とは何か、そこに例示される「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶとき」とはどの程度のばあいを指すのかが、はなはだ不明確である。ここに東京中郵事件判決の重大な欠陥がある。もともと違法性の判断は、構成要件該当性の判断とちがつて、非定型的・具体的な判断であつて、これについて明確な規準を示すことが困難なのは性質上むしろ当然であるが、労働争議の違法性の有無の標準がかくも不明確であることは、争議をおこなう者の側からいつても、取締りをする側からいつても、実際上、はなはだしく不都合である。この点について、昭和四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁(以下、全農林事件判決という。)において岸・天野両裁判官が追加補足意見として述べておられるところは正当というべきである(上掲刑集五八三―五八六頁)。わたくしは、東京中郵事件判決の基本的な考え方を維持しながら、右のような批判に耐えるように、必要な修正を加えるのが相当だと考える(団藤・刑法綱要・総論・四九六頁参照)。以下に述べるところは、主としてこのような趣旨によるものである。

二  われわれは、何よりもまず、公務員も憲法二八条にいわゆる「勤労者」であり、同条の規定する「団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」は、公務員にも基本的に保障されるべきであるという認識から出発しなければならない。このことは、東京中郵事件判決はもとより、全農林事件判決においても承認されているところであり、本件多数意見もまた、これを否定するものではないであろう。問題は、この基本原理を控制する原理として、どのようなものをみとめ、また、かような控制原理による基本原理の修正をどの程度に強くみとめるかであつて、この点で、意見が大きくわかれて来るのである。

控制原理の第一は、憲法一五条に示されるような公務員の憲法上の地位から来る。「公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」(同条二項)ということは、公務員が一部の党派のようなものに奉仕することは許されず国民全体に奉仕するべきことを主として意味するのであるから、そのことからすぐに公務員の争議権を制限する根拠は出て来ないが、同条一項・二項はあいまつて、公務員の実質的使用者が国民全体であることを意味するのであり、そこから、公務員の争議権が「国民生活全体の利益」(東京中郵事件判決の表現)ないし「国民全体の利益」(全農林事件判決以降の表現)のために制約を受けるべきことが導かれる。東京中郵事件判決は、これを労働基本権一般の内在的制約として理解しており(前掲刑集九〇七頁)、それにも充分の理由があるとおもうが、公務員の労働基本権の制約については、憲法一五条もあわせて援用されるべきであろう。ただ、憲法一五条のもとにおいても、公務員は公務員なるがゆえに概念上当然に争議権を否定されるものではなく、その争議権を立法上制限するのについては、それぞれの公務員の地位や職務権限の内容等にしたがつて、実質的な考慮を必要とするのである。ことに郵政職員のような現業公務員は、業務の大部分において、公益的事業を営む私企業の労働者と異なるところはない。「郵政大臣が、法律の定めるところに従い、契約により郵政省のため郵便の業務の一部を行わせることを妨げない」ことになつており(郵便法五条一項)、現に郵便物の取集・運送・配達については運送業者等への委託がみとめられているのも(郵便物運送委託法)、これを物語るものだといえよう。国民全体の利益に奉仕しなければならない点では、現業公務員も公益的事業を営む私企業の労働者も同じことである。

第二に、控制原理としていつそう重要なのは、いわゆる財政民主主義である(憲法八三条。なお、憲法七三条四号、国家公務員法〔以下、国公法という。〕六三条一項、地方公務員法〔以下、地公法という〕二四条六項、二五条一項等参照)。これを正面から取り上げたのは全農林事件判決(前掲刑集五五二頁以下)であつて、東京中郵事件判決がこれに触れていないのは不備であつたといわなければならない。しかし、全農林事件判決における田中二郎裁判官をはじめとする五裁判官の意見に述べられているとおり(前掲刑集五九一頁以下)、憲法の予定する財政民主主義は、公務員の勤労条件に関する基準が細部まで法律によつて決定されていなければならないことを要求するものではなく、法律でその大綱を定め、実施面における裁量の余地を残すことも可能なのであり、したがつて公務員の勤労条件が性質上団体交渉による決定になじまないものとすることはできないのである。たしかに多数意見の説示するとおり、大綱的基準のもとでその具体化を団体交渉によつて決定するという制度をとる余地があるにしても、そのような制度が憲法上当然に保障されているわけではない。しかし、同時に、憲法がこのような立法政策をとることを排除するものでないこともあきらかだというべきである。

要するに、これらの控制原理は、公務員の労働基本権が私企業の労働者のそれに比較してより大きい制約を受けうることを意味するにとどまり、憲法上公務員の争議権を認める余地がないことを意味するものではない。それどころか、基本的人権の規定が憲法において占める格別に重要な地位にかんがみるときは、争議権を含む労働基本権は、公務員についても、これらの控制原理によつて許容されるかぎり、なるべくひろくみとめるのが憲法の本旨だというべきである。もとより、公務員の労働基本権とこれに対する控制原理との関係はある程度に弾力的なものであるから、法律によつて公務員の争議権を制限することは合理的な理由のあるかぎり立法政策にまかされたものというべきであり、公労法一七条も合憲と解されるべきことは東京中郵事件判決によつても承認されているところである(前掲刑集九一〇頁以下)。しかし、同条による争議権の制限が具体的にどういう内容のものであるか、別言すれば、同条一項違反の争議行為にどのような法的効果が結びつけられるべきかということは、あくまでも同条の解釈論であつて、同条の合憲性から――公務員の争議行為は合憲的な禁止規定に違反するものだから民事上も刑事上も当然に違法だというふうに――ただちに導き出されるものではない。それは憲法上の諸要請の総合的理解の上に立ちながら、同条の解釈論として論定されなければならないことである。ここで憲法上の諸要請として考えられるのは、上に述べたような憲法二八条による労働基本権保障の趣旨および憲法一五条・八三条等に現われているところの、これに対する控制原理が主要なものであるが、とくに刑事責任の関係では、憲法三一条が含蓄するところの刑罰謙抑主義の要請なども忘れられてはならないとおもう。

三  そこで、右の見地から、公労法一七条一項違反の争議行為がはたして民事上も刑事上も当然に違法であるということができるかどうかについて、もう少し立ち入つて考察を試みよう。

(一)  まず、民事についていえば、公労法三条は公共企業体等の職員に関する労働関係について、労組法の定めるところによるとしながら、民事の損害賠償の免責に関する労組法八条の適用をとくに除外している。すなわち、公共企業体等の職員は争議行為が正当であるという理由によつて使用者に対する損害賠償義務を免れることはできないのであり、すくなくともその限度において、公労法一七条一項違反の争議行為は、民事法上の違法性を有するものといわなければならない。さらに、同法一八条によれば、同法一七条一項違反の争議行為をした職員は解雇されるものとされており、争議行為の禁止は、このような効果とも結びつけられている。ただ、この解雇は、違法行為を理由とする懲戒解雇とは異なり、争議行為の禁止に実効をもたせるための制度とみるのが相当であろう。

(二)  これに対して、刑事責任については、改めて検討する必要がある。東京中郵事件判決においてあきらかにされており(前掲刑集九一二頁)、公共企業体等の職員に関する労働関係について労組法一条二項の適用があることは、公労法三条一項の規定上明白である。したがつて、争議行為は公労法一七条一項に違反するというだけで刑法上の違法性が基礎づけられるものではなく、もつと実質的に、当の争議行為が具体的に労組法一条二項にいわゆる「正当なもの」にあたるかどうかによつて違法性の有無が判断されるべきである。

なるほど、公労法制定の際の国会審議において、政府当局から、同法一七条一項違反の争議行為について労組法一条二項の適用がない旨の答弁がされていることは、多数意見の指摘するとおりであるが、これは一参考資料以上の意味をもつものとは考えられない。多数意見は、公労法三条一項が労組法一条二項の適用を除外していない点について、団体交渉等は公労法三条一項にいうところの「この法律に定のないもの」にあたるからこれについては労組法一条二項が適用されるが、争議行為は公労法一七条一項の定めがあるのだからこれについては労組法一条二項を適用する余地はない、と説明する。これはたしかに一個の見解であつて、わたくしも敬意を表するのにやぶさかでないが、しかし、公労法に定めのあるものとみるべきか、定めのないものとみるべきかということじたいが、そもそも問題なのである。けだし、公労法一七条一項が刑法の領域までをも考えた趣旨の規定でないとすれば、争議行為の刑法上の違法性については公労法に定めがあるとはいえないのであつて、まさしく「この法律に定のないもの」として労組法一条二項の適用をみとめるべきことになるはずである。多数意見は、「民事法上の効果と区別して、刑事法上に限り(中略)当然に労組法一条二項の適用を認めるべき特段の憲法上の根拠は、見出しがたい」というが、わたくしにいわせると、憲法三一条が含蓄するところの刑罰謙抑主義がその重要な根拠のひとつである。前述したとおり、公務員についても、憲法一五条・八三条等の控制原理によつて許容されるかぎり、争議権を含む労働基本権をなるべくひろくみとめるのが憲法の本旨とするところであると考えられるから、争議権を制限するばあいにも、争議禁止を実効的にするために民事法上の手段で足りるならば、それ以上に刑罰的制裁を用いるべきではない。刑罰謙抑主義はひろく刑法一般に妥当するところであるが、労働争議についてはその性質上とりわけ強く要請されるであろう。もちろん、国公法や地公法のように一定の要件のもとに法律の明文の規定によつて争議行為に対する罰則を設けることがかならずしも違憲になるわけではないが、明文の規定なしに、争議行為について労組法一条二項の適用を排除してその刑法上の違法性を基礎づけるためには、積極的な解釈上の根拠がなければならないはずである。多数意見の公労法三条一項に関する前掲説示は、はたして、この点について充分な理由づけをしたものといえるであろうか。

これは、いずれにせよ、字句の末の問題ではない。公務員の争議権を原則的に肯定するかどうかという基本的な立場の相違が、この解釈論に反映して来るのである。多数意見も、公務員が本来、憲法二八条にいう勤労者にあたることを承認するが、その労働基本権に対する強い制約をみとめ、ことに争議行為についてはこれを原則的に違法なものと考える結果として、公労法三条一項についても右のような解釈をとることになるのだとおもう。わたくしもまた、公務員が一般労働者とちがつてその争議権に大きな制約がありうることをみとめ、これを制限する法律もその制限が憲法上の諸要請からみて合理的であるかぎり合憲とされるべきものと考えるが、わたくしは、憲法二八条が労働基本権を基本的人権として保障している趣旨を法律解釈の上でもなるべく活かして行こうとする立場から、このような制限をどこまでも例外的なものと考え、争議行為はこれを違法とする積極的な根拠がないかぎり正当なものと解するのである。民事については、上述のとおり、争議行為を違法とする明文上の積極的な根拠があるが、刑事については、労組法一条二項の適用が明文上除外されていないことからいつて、こうした根拠はないとみるべきである。なるほど、前に引用した多数意見の説示のような解釈をとる余地があることは否定することができないが、かような解釈の余地があるということをもつて、争議行為の刑法上の違法性を積極的にみとめる根拠とすることはできないものとおもうのである。

この問題は、さらに、民事・刑事における違法性の相対性の議論とからんでいる(団藤・前掲書一三六頁注二、四九五頁参照)。私見によれば、行為の違法性が犯罪成立要件として要求される程度に強いものでなくても、民法上、不法行為や債務不履行の成立要件としては充分でありうる。これは刑事責任と民事責任との相違から当然に導かれることである。したがつて、公労法が争議行為に民事法上の違法性をみとめる趣旨であるということから、当然に刑法上の違法性をもみとめる趣旨だという結論は引き出されないのである。

多数意見は、「かりに、争議行為が憲法二八条によつて保障される権利の行使又は正当な行為であることの故にこれに対し刑罰を科ずることが許されす、労組法一条二項による違法性阻却を認めるほかないものとすれば、これに対し民事責任を問うことも原則として許されないはずであつて、そのような争議行為の理解は、公労法一七条一項が憲法二八条に違反しないとしたところにそぐわないものというべきである」とするが、このように民事責任と刑事責任とを同列にみようとすることは、前述のような刑罰謙抑主義に対する理解に欠けるところがありはしないであろうか。多数意見も、争議への単純参加者に対して処罰阻却原由を肯定するのについては、刑罰謙抑主義に対する深い理解を示しているだけに、惜しまれるのである。そればかりではない。多数意見は、ここでかりに憲法二八条の「権利」の行使であるとすれば、民事も刑事も同じではないかという一種の論理を持ち出している。多数意見は、「権利」という概念を何か絶対的な、固定した内容をもつたものとして理解しているもののように、わたくしにはおもわれる。それは、多数意見が、もともと労組法一条二項は「憲法二八条の保障する権利の行使であることからくる当然の結論を注意的に規定したものと解すべきであるから、(中略)憲法二八条に違反しないとされる公労法一七条一項によつていつさい禁止されている争議行為に対しては、特別の事情のない限り、労組法一条二項の適用を認めえないのがむしろ当然」と説示しているところからも、うかがわれる。しかし、はたして、このように論じることができるものであろうか。なるほど争議行為は憲法二八条によつて保障される権利の行使であるにはちがいないが、この権利は決して絶対的なものではなく、現に、公労法では大きな制約が加えられているのである。およそ法律が労働争議権を制限するのについては、その程度と態様において種々のものが考えられるのであり、われわれはいま、現行公労法が公共企業体等の職員の争議行為に対し、加えている制限がどのような程度と態様のものであるかを、解釈論として探求しようとしているのである。そうして、私見によれば、公労法は一七条一項において、業務の正常な運営を阻害するものであるかぎり一切の争議行為およびその共謀等を禁止し、違反行為に対しては労組法八条の規定するような民事免責をみとめず(公労法三条一項)、また、違反行為を解雇の原由としているが(同法一八条)、刑事責任の関係では労組法一条二項の適用をみとめている(同法三条一項)。つまり、そのような程度と態様において、争議権を制限しているものと考えるのである。

四  そこで、わたくしとしては、さらに進んで、公共企業体等の職員の争議行為が個々のばあいに労組法一条二項にいわゆる「正当な」ものといえるかどうかを判断するための一般的な規準を求めなければならない。私見によれば、それは、一方では公共企業体等の業務の公益性――いいかえれば国民生活全体共利益――および財政民主主義との関係、他方では争議行為禁止の代償措置との関係を考慮しながら論定されるべきである。

東京中郵事件判決が指摘したとおり、労働基本権を制限することがやむをえないときは、これに見合う代償措置が講じられなければならないのであり(前掲刑集九〇八頁)、このことは、全農林事件判決(前掲刑集五五四頁以下)以降においても承認されている。公労法についていえば、代償措置として、公共企業体等労働委員会(以下、公労法という。)によるあつせん、調停および仲裁の制度が設けられており、ことに公益委員をもつて組織される仲裁委員会のした仲裁裁定は、労働協約と同一の効力を有し、当事者双方を拘束するものとされている。

ところで、国公法や地公法では、争議行為の禁止に違反する一定の行為についてとくに罰則を設けているのであつて、これを違憲とすることができないことは、当裁判所の判例とするところである。したがつて、ここでは、この罰則にあたる行為は原則として違法とみとめられる。ただ、ここでも、代償措置の制度が存在し、かつ、正常に機能していることが、これを合憲とみとめるための前提であるから、もし代償措置が正常に機能していないときは、争議行為がその限度で許されるにいたるものといわなければならない(国公法につき、全農林事件判決における岸・天野両裁判官の追加補足意見、地公法につき、昭和五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号一一七八頁〔岩手県教組事件〕における岸・天野両裁判官の補足意見およびわたくしの補足意見)。これに反して、公労法には争議行為を予想した罰則は存在せず、別に郵便法七九条等に争議行為とは無関係に設けられた罰則があるにすぎないのであるから、争議行為が郵便法七九条一項に該当するばあいにも、ただちに国公法や地公法と同列に考えることはできない。むしろ、前述のとおり、このばあいにも労組法一条二項の適用があるものと解するべきであつて、かような行為も、原則的には違法性を欠いて不可罰だというべきである。しかし、それでは、郵便法七九条一項にあたる行為が労組法一条一項の目的達成のためにする争議行為であれば、暴力にわたらないかぎり、つねに違法性を欠くのかといえば、決してそうでないことは、労組法一条二項の解釈としても当然である。そこには、はつきりと「正当なもの」という限定がある。いうまでもなく、ここで、国民生活全体の利益や財政民主主義との関係が考慮されなければならないし、さらに、また、代償措置との関係が問題とされなければならない。そうして、私見によれば、公労法によつてみとめられている代償措置は国民生活全体の利益や財政民主主義を充分に配慮したものであるから、代償措置との関係を追求することによつて、おのずから、国民生活全体の利益や財政民主主義との調和をもはかることができることになるのである。

おもうに、公共企業体等については、一般の民間企業のばあいとちがつて、争議行為禁止の代償措置のひとつとして強力な仲裁制度が設けられており、(1) 関係当事者の双方が仲裁の申請をしたときや、(2) 関係当事者の労働協約の定めにもとづいて仲裁の申請をしたときばかりでなく、(3) 公労委があつせん・調停を開始したのち二箇月を経過してなお紛争が解決しないばあいにおいて、関係当事者の一方が公労委に仲裁の申請をしたとき、(4) 公労委が、あつせん・調停中の事件について、仲裁をおこなう必要があると決議したとき、(5) 主務大臣が公労委に仲裁の請求をしたときに、仲裁が開始することになつている(公労法三三条)。わたくしは、このような仲裁の開始の時期――厳密には仲裁開始の通知(公労法施行令一一条)のあつた時――を争議行為の正当性の限界の基準となる時期――つまり、それまでは原則として違法性がなく、それ以後は原則として違法性があるものとみられる時期――とみるのが相当だと考える。けだし、仲裁裁定は公平な公益委員で組織する仲裁委員会の手でおこなわれるものであるばかりでなく(同法三四条一項・二項)、仲裁裁定は労働協約と同一の効力をみとめられ(同条三項、労働関係調整法〔以下、労調法という。〕三四条)、当事者は双方とも最終的決定としてこれに服従しなければならないし、また、政府は、当該裁定が実施されるように、できるかぎり努力しなければならないことになつている(公労法三五条本文)。さらに、もし公共企業体等の予算上または資金上、不可能な資金の支出を内容とする裁定が出されたときは、かような裁定は政府を拘束するものではないが、政府は、裁定が出されてから一〇日以内(国会が閉会中のときは国会召集後五日以内)に国会に付議して承認を求めなければならず、国会の承認があつたときは、裁定の内容は、裁定の日附にさかのぼつて効力を発生するものとされている(同条ただし書、一六条)。かように公平かつ強力な代償措置としての仲裁手続の制度が存在するのであるからその手続が開始したときは、当事者は冷静に公労委の裁定を待つのが当然である。かような仲裁手続が現に開始したのち、なおかつ争議行為をおこなうのは、現行法制のもとにおいては、争議権の濫用というほかなく、もはや憲法との関係その他の見地から違法性を欠いて不可罰であるとは、とうてい考えることができない。しかも、仲裁の開始の時期は手続的に明確であるから、これを規準とすることによつて、東京中郵事件判決にみられるような規準の不明確を避けることができる。これは、実質的にいえば、東京中郵事件判決が「不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合」といつているところに、手続的な見地からの規準をあたえようとするものである。実際上の運用を想定すれば、もし争議が国民生活に重大な障害をもたらし放置することのできない段階に立ちいたつたばあいには、強制仲裁制度もあるのであるから、現にあつせん・調停中の事件ならば、公労委が「仲裁を行う必要がある」と決議すれば仲裁が開始するし(同法三三条四号)、あつせん・調停中の事件でなくても、主務大臣が委員会に仲裁の請求をすれば仲裁が開始する(同条五号)。仲裁が開始するまでは、郵便法七九条一項の構成要件に該当する行為であつても、争議行為として原則的に違法性が阻却されるが、仲裁開始の段階にいたつて、なお、争議行為を継続すること(あるいは、その後になつて争議行為を開始すること)は、原則として、もはや許されなくなるものというべきである。もつとも、これは仲裁制度が正常に運営されていることを前提とするものであつて、たとえば、主務大臣による仲裁の請求があきらかに単なる争議弾圧の手段と化してしまつたような事態をかりにも想定すれば、話は別である。要するに、ここに述べた私見は、行政機関に争議行為の違法性の有無についての判定権をみとめようとするものでは、毛頭ない。争議の違法性の有無が裁判所によつて判断されるべきものであることはもちろんであつて、ただ、裁判所がその判断をするための目安として、仲裁の開始を持ち出そうとするものにほかならない。(裁定が出たのち政府がその実施を怠つたばあいに、どのような範囲で争議が許されるべきかについては、さらに考察を必要とするが、本件では直接の問題となつていないから、ここでは立ち入らない。)

ちなみに、あつせん・調停は、仲裁のような強力なものではないから(公労法二六条五項、三二条、労調法二六条一項―三項参照)、この段階には、右のような効果を結びつけることは相当でないものと考える。(なお、かような私見に対して反問があるかもしれないとおもわれるのは、労調法二六条四項の規定が公労委の調停に準用されていない点をどう説明するかである。けだし、もしこの規定がその違反行為の刑法上の違法性を基礎づける趣旨だとすれば、その準用がない以上、一般労働者の方が公共企業体等の職員よりもかえつて不利益な扱いを受けることとなつて権衡を失することになるであろうからである。しかし、わたくしは、労調法三七条・三八条についてはこれに違反する争議行為に対し同法三九条・四〇条の罰則がとくに設けられているのに反し、同法二六条四項についてはこれに違反する争議行為に対してこの種の罰則が存在しないことから考えて、後者に違反する争議行為は単に民事上違法とされるにすぎないものと解する。公労法においては、前述のとおり、同法一七条に違反する争議行為の民事上の違法性はすでに一般的に基礎づけられているので、調停の段階の一場面に関する労調法二六条四項を準用する余地はないわけなのである。)

五  以上に述べたところは、冒頭に一言したとおり、東京中郵事件判決の基本的な考え方を受けつぎながらも、公労法のもとにおいて争議行為が労組法一条二項の適用上、正当性の限界をこえるかどうかを判断するための、より明確な規準を呈示しようとするものである。東京中郵事件判決に示された判例は、以上に述べたところと抵触するかぎりにおいてのみであるが、若干の修正を免れないものと考える。

なお、ここで、誤解を避けるために、一、二の点について説明をつけ加えておきたい。第一に、前述のとおり、違法性の判断は、性質上、もともと非定型的・具体的なものであるから(団藤・前掲書一三七―一三八)、右に掲げた争議行為の正当性の限界に関する基準の意味するところも、このことを念頭に置いて理解されなければならない。わたくしは仲裁開始の時期が基準となるといつたが、それは、すでに述べたとおり、その時期までは特段の事情がないかぎり原則として違法性が阻却され、また、その時期以後は特断の事情がないかぎり原則として違法性が阻却されないという目安を与えるだけのことである。しかし、それにしても、東京中郵事件判決の示した基準と比較すれば、よほど明確になるものと考えるのである。第二に、全体としての争議行為と、争議に際しておこなわれる個々の行為とは、区別して考える必要がある。前者が正当性を有しても後者が違法性を帯びることがあると同時に、後者が違法であつてもそれによつて当然に全体としての争議行為そのものが違法性を帯びるとはかぎらないのである(団藤・前掲書一五五頁)。

六  多数意見が、従来の立法経過等にかんがみて、郵政職員の争議行為に関しては、単純な参加者は郵便法七九条一項による処罰を阻却され、ただ、国公法の争議行為の罰則に定められているような指導的行為をした者だけが郵便法七九条一項の教唆犯または幇助犯として処罰を免れないものという趣旨の説示をしているのは、法律の明文なしに、解釈上、処罰阻却原由をみとめるものであるが、わたくしは、この点に関するかぎり、多数意見に賛成する者である。処罰阻却原由は、犯罪が成立しているのにもかかわらず、なんらかの政策的理由によつて、処罰だけを阻却することにするものであつて、きわめて例外的なものであり(団藤・前掲書三九八以下参照)、一般には特別の明文の規定をまつてはじめてみとめられるのであるが、解釈上充分の根拠さえあれば、かならずしも明文の規定の存在が性質上必要不可欠だというものではないとおもう(団藤・前掲書三九九頁注三参照)。本件のばあいには、従来の立法経過や他の法律の規定との権衡等にかんがみて、多数意見の説示のように処罰範囲を限定することは充分の根拠を有するものと考える。

したがつて、私見においては、郵政職員の郵便法七九条一項に該当する争議行為が上記のようなわたくしの立場からみて違法性を具備するものとみとめられるばあいにおいても、行為者の全員が処罰されるのではなくて、国公法の争議行為の罰則に定められているような指導的行為をした者にかぎつて郵便法七九条一項の罪の教唆犯または幇助犯として処罰されるにすぎないことになる。(ただし、本件の事案に関するかぎり、わたくしの立場では、次段に述べるように犯罪の成立そのものが否定されるので、この考え方を適用する余地はない。)

七  いま本件についてみるに、まず、第一審判決の判示一事実(郵便法違反幇助)については、被告人らの行為は郵便法七九条一項の罪の幇助に該当するものとみとめられるが、行為の当時において公労委の仲裁が開始していなかつたことは記録上あきらかであり、したがつて、労組法一条二項の適用上、特段の事情がないかぎり違法性を欠くものであつたと考えられ、記録上、特段の事情がみとめられない本件において、原審が被告人らを無罪としたのは結論において正当であるばかりでなく、憲法二八条の解釈として判示するところもおおむね是認されうるものであつて、わたくしの意見と異なるかにみえる点も、判決に影響を及ぼすものではない。原判決に、判決に影響を及ぼす憲法解釈の誤りはなく、論旨は、理由がない。

次に、第一審判決の判示第三事実(建造物侵入)に関する論旨は判例違反と憲法二八条の解釈の誤りをいい、同第二事実(公務執行妨害)に関する論旨は判例の違反をいうが、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、憲法二八条の解釈の誤りをいう点も実質は法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の適法な上告理由にあたらない(公務執行妨害の点に関するかぎり、わたくしも多数意見に同調する。)。

以上の理由によつて、わたくしは、本件上告は棄却されるべきものと考える。

裁判官環昌一の反対意見は、次のとおりである。

私は、五現業及び三公社の職員も憲法二八条にいう勤労者にあたるから、同法条に定める労働基本権の保障を受けるものであり、公労法もこの趣旨に沿つて、これらの職員の行なう争議行為であつても、正当なものは刑事法上違法性が阻却されることを定めているものと解する。

一  憲法一五条が、公務員を選定し、罷免することは国民固有の権利であり、公務員は全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではないと定めていることは、公務員の実質上の使用者が、公務員自体をも含む国民全体であり、公務員は使用者としての国民全体の生存の確保のために奉仕する者であることを明らかにしたものと解される。そしてこのことは、公務員が、憲法二八条にいう勤労者にあたると解すべきかどうか、あたると解しても私企業の労働者とその受ける労働基本権の保障に差異はないかどうかなど解釈上困難な問題を提起する。かつていわゆる弘前機関区事件判決(最高裁昭和二四年(れ)第六八五号同二八年四月八日大法廷判決・刑集七巻四号七七五頁)の意見(同八〇四頁以下)において、栗山裁判官は、「憲法二八条が保障している権利は私有財産制度を前提としていることは沿革上明である。(中略)国又は地方公共団体とその公務員との関係は毫も対等取引を前提とする関係でもなければ又もとより私有財産制度を前提とする労使の関係にかかわりないものである。それ故公務員は憲法二七条にいう勤労の権利を有するものであることは勿論であるけれども本質的に憲法二八条の勤労者ではないのであつて、同条が保障している権利はもともと享有していないのである」とのべておられる。私は、右見解と異なり、基本的には東京中郵事件判決が「労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には その保障を受けるものと解される。『公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない』とする憲法一五条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことは許されない。ただ、公務員またはこれを準ずる者については、(中略)その担当する職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包しているにとどまるものと解すべきである」と判示するところに従うものであるが、後にいわゆる財政民主主義に関する多数意見についてのべるところとも関連するので、若干の点にふれておきたい。

たしかに公務員の実質的な使用者は国民全体である(全農林事件判決も、非現業公務員につきこのことを明らかにしている。)から、前記栗山裁判官の説かれるように、公務員の労使関係においては、私企業におけると同様な、労使それぞれの、独立して対立する経済的利益追求の意思が存在するとはいえず、理念的には、団体交渉を通じての労使の自由な意思の合致、すなわち協約による労働条件等の自主的解決の方式を容れる余地がないようにみえる。しかし、そのことを根拠として公務員に対する憲法二八条の定める団体交渉権の保障そのものを否定し去る見解は、あまりにも理論にとらわれ、現実を無視するものであつて憲法の解釈として正当だとは考えられない。使用者たる国民全体の意思といつても、実定法上は政府あるいは公社等、使用者とされるものの意思であり、窮極的には国権の最高機関である国会の意思であると考えるほかはない。国会が、公務員と、実定法上国民を代表する使用者たる政府等との間の労使関係に対して、全く第三者の立場に立つものと解するのは妥当ではない。そして、この国会を頂点とする政府、公社等の、その時々における使用者としての意思は、多くの政治的、政策的要素を考慮して形成されるものであるから、これと現実的、具体的に対立する公務員側の意思が、一つの要素としてこの形成に事実上影響することは否定できない。すなわち現実には私企業に近い労使の意思の対立の存在が認められる。従つて私企業における団体交渉と、その結果としての協約の締結の方式を、合理的な修正を施した上で公務員関係の実定法にとりいれることは、憲法二八条の保障の実際的な具現であり、公務員の性格と矛盾するものとは思われない(勿論このように考えるからといつて、現行実定法の規定にかかわらず、公務員が国会、政府に団体交渉を求めることができるというのではない。それは、現行法令の解釈にあたつては、公務員はもともと労働基本権の保障がなく、現行法上限られた範囲で与えられているのは、法律が、憲法二八条の規制とはなれて、立法政策として恩恵的に与えたものとする前提に立つべきではなく、逆に、ほんらい公務員も、その保障を享有するとの前提に立つべきであり、この前提をとることには、現実にその基盤があるというのである。そして、この実定法解釈の基本的態度の差は、結論に微妙に影響すると考えられるので重要である。)。

二  次に五現業及び三公社の職員の勤労者としての特殊性を、非現業公務員及及び私企業の労働者として比較して考えてみたい。

第一に、職務のいわゆる公共性についていえば、非現業公務員の取扱う行政事務が国家活動の根幹をなすものであり、最も高い公共性を有することはいうまでもない。しかし一般私企業の労働者の職務との比較ということになると、公共性の概念自体十分明確とはいえない。ここでは、その業務が、国民全体の生活に関連する度合い、ひいては国民全体の利益の観点からみて、その職務ないし業務の遂行が、安定した体制のもとに、継続してなされる必要性(代替的方法の有無も含めて)の度合いをいうものとの理解に立つて考える。五現業及び三公社の業務の運営について、国有(国の直接の経営)ないし実質的な国営としての公共企業体の形態が採られたのは、これらの事業が、もともと公共性の高いものであることが、その理由の一つとなつていると考えられるのであるが、実定法に特別規定が設けられたり、あるいは事業の性質が私企業による競業を困難とする事情等が存在するため、独占的性格が強くなり、いつそうその公共性を高めている事情も認められる。しかし、私企業の中にも公共性を具え、その度合いが必ずしも五現業や三公社に劣らないと思われるいわゆる公益事業(例えば電気の供給事業)もあるから、五現業や三公社の事業の公共性が高いといつても要するに比較の問題にすぎないともいえるので、公共性が決定的にこれらの事業を私企業と区別する要素とも考えられない。

第二に、五現業や三公社の業務内容についてみると、それがほんらい私企業による運営になじまないものとは思われない。従つて、国有ないし公社の形態による運営にあたつて、私企業が利潤追求の目的達成のため案出し採用している、能率的、合理的な運営の手法を導入することが要請されるに至るのは自然のなりゆきというべきである。現に五現業については、それぞれの特別会計法によつて、これを企業的に運営すべきものとされ、三公社については日本国有鉄道法等それぞれの特別法によつて事業が独立採算制のもとで、合理的且つ能率的に運営されるべきものとされている。このことはまた、もつぱら利潤の追求を目的とする私企業とは同じではないが、なおそこに業績の観念、ひいては労働者の業績への寄与とこれに対する報償の観念を容れる余地が認められることにつながる。五現業の職員については、国の経営する企業に勤務する職員の給与等に関する特例法三条一項後段、五条但書前段、三公社については日本国有鉄道法四四条二項前段(他の二公社も同様)等の規定からもこの趣旨をうかがうことができると思う(日本国有鉄道法二条後段参照)。

要するに五現業及び三公社の職員の憲法二八条にいう勤労者としての性格は、職務の公共性の点においても、私企業との類似の点においても、非現業公務員よりはるかに私企業の労働者のそれに近似するのであり、賃金が国の支出による点を除いては私企業の労働者と実質上変りはないといつても過言ではない。

三  そこで公労法を、その規定に即してみると、同法は、職員に対して労働組合の結成を認め(四条一項)、多くの労組法の規定を適用することを定め(三条一項)、賃金その他の給与に関する事項をも含めて広範囲にわたる事項について団体交渉を認め(八条)、使用者による団体交渉の拒否を不当労働行為とすることによる実効性確保の手段を定め(二五条の五)、労働協約の締結を原則として認め(三条)、予算上、資金上の支出にかかわる事項についても、国会の承認を条件としながらも労使間協定の自主的締結を認め(一六条)ている。このことは、公労法が憲法二八条の下位規範として、先に指摘した五現業及び三公社の職員の、私企業の労働者に近似する性格に対応して、団結権、団体交渉権については、多くの点で、私企業の労働者に近い保障を認めようとすることを示すものである。

公労法が、労組法に比較して、最も特徴的であるのは、いうまでもなく労使双方に争議行為等をしてはならない旨を定めた一七条の規定である。この規定が、先に述べた職員の業務の公共性を根拠とするものであることはいうまでもなく、東京中郵事件判決が判示するように、その「職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれ」があり、「これを避けるために必要やむを得ない場合」にあたるからである(全農林事件判決の判示する争議行為についての企業内部からの抑制の契機と市場的抑止力のいずれも存在しないことも附随的根拠として考えられる。)。

ところで、公労法は、一七条一項の規定に反してなされた職員らの争議行為等が当該職員を解雇する適法な理由となるものとし(一八条)、且つ、このような行為に対して労組法八条が適用されないものとして、損害賠償義務の発生することを定めている(公労法三条)。しかし公労法は、このように民事法上の効果につき明文の規定をわざわざ設けながら、刑事法上の対応としては、同法三条において労組法一条二項の適用を明定したままで特別の規定を設けるところがない。このことから公労法は、一七条一項を設けることによつて争議行為の発生を防止することを主眼とし、その実効性を確保するための有効な方法として、職員の身分を有する行為者の企業外への排除とこれらの者及びあおり行為等をした職員以外の者若しくは団体に損害賠償責任が発生することとを規定したにとどまり、これらの者に刑罰を科することによる抑止の方法はこれを採らなかつたものであることが看取できる(なお、いわゆる代償措置も、争議の発生を事実上防止するのに有効な方策として制定されたものであることはいうまでもないが、この点は後にふれたい。)。要するに、公労法一七条一項の規定の趣旨は、解雇、損害賠償、代償措置等その実効性確保のための諸規定と一体となつて、その抑止力により将来の争議行為の発生を防止しようとするところにその真の狙いがあるものと考えられ(同法一七条の規定自体、同法一条一項に定める団体交渉による平和的解決の実現の実効性を確保するための規定とみられよう。)、同法が、右に述べたように正当な争議行為について労組法一条二項の適用を排除しなかつたのは、前述の公共性の程度、職員の勤労者としての性格に応ずるものであるとともに、刑罰のきびしさを考慮したものであつて、憲法二八条の下位規範として妥当な措置であるといわなければならい。そして右のような民事法上の効果のみを伴う公労法一七条一項の規定は、前記一及び二にかかげた諸契機を考量してみて憲法の趣旨を逸脱する不合理なものとは考えられないからこれを違憲無効なものと解することはできない。

四  なお以上の考察に因んで、多数意見の判示に関して若干私見を附加しておきたい。

多数意見は全農林事件判決を引用した上、「これを要するに、非現業の国家公務員の場合、その勤務条件は、憲法上、国民全体の意思を代表する国会において法律、予算の形で決定すべきものとされており、労使間の自由な団体交渉に基づく合意によつて決定すべきものとはされていないので、私企業の場合のような労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権の保障はなく、右の共同決定のための団体交渉過程の一環として予定されている争議権もまた、憲法上、当然に保障されているものとはいえない」とし、五現業及び三公社の職員についても憲法八三条に定める財政民主主義の原則上非現業の国家公務員と異ならない旨を判示する。

この多数意見の見解は、主として財政民主主義の視点から構成されてはいるが、公務員の勤務条件一般の決定権が、最終的に国会にあるということは、基本的にはすでにのべた憲法一五条に基づいて、公務員の使用者が国民全体であるとするところに基づくものであり、勤務条件のうち、予算等に関連するものについて、財政民主主義の原則が競合的に考慮せられるものと考える。すなわち、右多数意見のいう「憲法上、国民全体の意思を代表する国会」というのは、公務員の労使関係の外に立つ第三者たる国会ではなくて、使用者たる国民全体の意思を代表する国会の意味と解せざるをえない。そしてこのような国会の意思の優越性を理念的に徹底させるときは、公務員に対する労働基本権の保障を有名無実のものとし、窮極において先に引用した弘前機関区事件判決における栗山裁判官の意見と同じ実質、すなわち、公務員の憲法二八条にいう勤労者性の否定にいたるのではないかと思う。私は、すでにのべたように、公務員に対する憲法二八条の保障は公務員の労使関係の現実に即応して、適切な修正のもとにその趣旨を活かすよう立法されるべきであり、それが、諸国の法制にも類をみないといわれる、勤労者に、労働三権のすべてを何らの法律に対する委任規定を設けることなく憲法をもつて直接保障した憲法二八条の法意に沿う所以であろうと考える。

右の多数意見に対しては、また、別の観点からも疑問を抱かざるをえない。それは団体交渉権及び争議権の権利としての構造の面からの疑問である。団体交渉は、労使が一定の日時、場所に会合して、一定の交渉事項について意見の合致を見出すための交渉を行なうことを内容とする、協約締結そのものと区別せられる事実行為と観念せられる。それに権利性がみとめられるのは、労働者側の正当な交渉の申入れに対しては、使用者としてこれに応じ交渉の場所に出席して誠実に交渉しなければならないということからであり、労働者の要求する内容をそのまま認める義務のないことは勿論、その団体交渉の結果として必ず協約を締結しなければならない義務もないから、使用者の対応もまた事実行為である。従つて当事者は、必ずしも本人、代表者あるいは代理人でない、協約締結権をもたない者に委任して交渉に当たらせることも差支えない。交渉の段階において何らかの一致をみても当然法的拘束力は生じないし、また、交渉に応じない使用者に対してこれを不当労働行為とし、一定の不利益を与えて強制することが団体交渉権の当然の内容をなすものとも考えられない。これをすでにのべたような公務員の労使関係の現実にあてはめて考えると、使用者として最終の決定権をもつのは国会であり、政府、公社等は一部の決定権をもつ交渉担当者の立場に類する実質をもつものと考えられる。たしかに、法理論としては、労使の意思の合致があつても、法的に国会を拘束しないから交渉といつても単なる話合いにすぎないといえるかもしれないが、事実として交渉が行なわれ、その結果として労使の意思の合致があつた場合、それが国会の意思に、事実として、あるいは政府等と国会の折衝等の結果として、影響をもち、結局公務員の経済的地位の向上に資することが考えられるから、このような交渉もまた、不十分ながら、憲法二八条の保障する団体交渉の一態様と解すべきであろう。国公法一〇八条の五、一項が政府に対し職員団体との交渉に応ずべきものとしていることなどはこの場合にあたると考えられる。以上は団体交渉についてのべたのであるが、団体交渉における交渉力の対等を実現することを狙いとして実施される争議行為もまた、事実行為であり、それが適法な行為とせられる結果、使用者としてこれを受忍しなければならないことから、権利性が認められるのであつて、公務員の性格とほんらい矛盾するものとは考えられない。国公法が、いわゆる争議行為の単純参加者に対し罰則を設けず、公労法が前述のような労組法一条二項の適用を排除しなかつたのも、公務員の争議行為が憲法二八条の保障のもとにあることを前提とするものと解すべきである(以上の考察も、先に一の末尾括弧内でのべたところと同趣旨に出でるものであることはいうまでもない。)。

次に、公労法三五条の規定を中心とするいわゆる代償措置については、私はすでにのべたように、争議行為等による業務の停廃を防止する方策として設けられた政策的措置であり、憲法上要請されているものとも、あるいは、これを設けることが労働基本権の制約に何らかの関連をもつものとも考えない。公務員の労働基本権の制約は、使用者たる国民全体の生存の確保と、国民全体に含まれる公務員の生存権としての労働基本権の保障との調和にその根拠を求めるべきであつて、代償措置を設けることとは関係がないと思う。ただ、代償措置が、現実の的確な把握に立つて、流動する労働情勢に適切に対応することのできる内容をもつ場合には、争議行為の防止に事実上極めて有効であると考えられるから、立法政策上考慮せられなければならないことはもとよりである。そして、代償措置が客観的にみて現実にその機能を遺憾なく果たしているという事実は、争議行為がこのような事情を無視しつつ国民全体の重大な犠牲において遂行されるような場合を想定すれば、それが争議権の濫用と判断される重要な一つの契機となることは否めないであろう。なお、争議権の濫用の判断は各事実に即して他の諸事情との綜合のうえで判断すべきものであることはいうまでもない。

以上のべた私の見解は、その大筋において東京中郵事件判決の判示するところを多く出るものではなく、現業公務員の争議行為について労組法一条二項の適用を認めるべきであるとする点で結論を一にするから、今、この点に関する右判例を変更すべきものとは考えない。

五  そこで、郵便法七九条一項の罪にあたるとされている松崎善治らによつて争議行為としてなされた本件行為及び被告人らの建造物侵入の罪にあたるとされている行為が、正当なものとして労組法一条二項の適用を受けるかどうかについて検討する。叙上のべきたつたように、争議行為が正当なものであり、且つ争議権の濫用にあたらない限り郵便法七九条一項は適用されないということとなるのであるから、右の各所為が労組法一条一項に定める憲法二八条の保障する争議行為の正当性の基準に照らし正当なものと認められるか否かが判断せられなければならない。

以上の考慮に立つて本件をみると、原判決の認定した事実によれば、松崎善治らの本件郵便不取扱いの所為は、同人らの所属する全逓名古屋中央郵便局支部が実施したいわゆる春季闘争の一環としての争議行為としてなされたものであり、その闘争の目的の中心が賃金引上げという経済的要求にあつたことが明らかであるというのであるから、同人らの所為がその目的において、労組法一条一項に定める交渉における労使対等の立場に立つことの促進という目的を逸脱するものでないことが認められ、またその行為の内容は、職場を放棄して職場大会に参加し、郵便物の取り扱いをしなかつたというにとどまり、同人ら直接あるいは同人ら以外のものと共同して、暴力の行使その他積極的に当局に侵害を与えたものとは認められないから、その態様においても不当な争議行為とは解せられないし、また、同人らの右不取扱いの所為がなされたのは昭和三三年三月二〇月午前八時ころから同日午前九時ころまでの間であり、松崎善治ら九名が配達業務を取り扱わなかつたため、配達が遅延を来した(ほぼ同日午後二時ころまで)郵便物は速達書留郵便八二通、著名者配達普通通常郵便二万八九〇〇通というのであつて、他に特段の事情も認められないから、同人らの本件所為を憲法二八条の保障の範囲を逸脱する争議権の濫用とすることはできない。従つて同人らの所為は、正当な争議行為として労組法一条二項により、刑事法上の違法性を阻却されるものとしなければならない。次に、被告人らの建造物侵入に問擬されている同日午前五時四〇分ころ被告人ら四名が同郵便局地下第一食堂へ立入つたこと、同日午前七時三〇分ころ被告人宇野、同杉田、同井田が作業棟三階普通郵便課等に立入つたことの各事実については、原判決の認定する行為の態様その他諸般の事情による限り、これらの所為も争議行為の実施に必須と認められる労働組合の統制的行為の範囲を明らかに逸脱したものとまではいえず、その態様においても積極的加害行為というに足りないものであり、特に権利の濫用と目すべき事情も認められないから、労組法一条二項の適用をうけるものというべきである。従つて、被告人らの右松崎善治らの郵便法七九条一項の罪の共犯ならびに建造物侵入の罪についてこれを無罪とした原判決は結論において正当であり、公務執行妨害の罪については多数意見の判示するとおりであるから、検察官の本件上告はすべて理由がなく棄却を免れないものと考える。

(藤林益三 岡原昌男 岸盛一 天野武一 岸上康夫 江理口清雄 大塚喜一郎 高辻正己 吉田豊 団藤重光 本林譲 服部高顯 環昌一 栗本一夫)

(裁判官下田武三は、退官のため署名押印することができない。)

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